Wednesday, 4 December 2013

6.リアリティ


Ⅰ:ええ、さすがにこれは無茶苦茶です


陳舜臣さんの「小説十八史略(一)」の冒頭にですね。

人間。ただ人間。ひたすら人間を追及する。これが古くから中国人の史観であった。
だから(中国には)神話がすくないのだ、という人がいるかもしれない。

だが、これには異議がある。
神話はけっしてすくないとはいえない。
ただ歴史の記述者が、自分たちの著書から、できるだけ神話を削ったのである。

とくに儒学が中国の思想界を牛耳ってからは、その傾向がはなはだしい-怪力乱神を語らず、というのが、孔子の姿勢であった。


でですね、またもや↑を読んでパッと思いついたことなんですけどね。
いつものように陳舜臣さんとは一切無関係な僕の適当話なんですけどね、ざっくりいきますよ。


あれですよ、「覇者・王者・始皇帝」=「人・人・神」ですよ。

え~と、儒教(学)が読んで字の如く国としての教え、国教(学)になったのは前漢の武帝の時代でしたかね。
で、それは清まで続きますよね。

で、儒教(学)には多くの優れた面があるものの、"怪力乱神を語らず"に象徴されるように人の好奇心というものを否定するとこがあり、そしてそれは思想的停滞を生み...。



ではなくてですね、あれですよ、「覇者・王者・始皇帝」=「人・人・神」ですよ。
つまり、「春秋戦国」は"人の歴史"、「始皇帝」以降の皇帝の時代は"神話"なんですよ。


中国史は思想的に動脈硬化した儒教国教化以降より「春秋戦国」時代のほうが、歴史を過去にさかのぼるほど、その史書にあらわれる人物の思想行動が現代人と相通じるとこがある、という話を聞きますが、そりゃ当然なんですよ。
だってそれは"人の歴史"だから。

歴史をくだるにつれ、人が人である輪郭がぼやけてくる、今からみて人物の思想行動がよくわからなくなってくる、てのも当然なんですよ。
だってそれは"神話"、神々の時代なんだから。

ほら、その証拠に「三国志演義」や「水滸伝」をみなさいな。
アキレスやクロノスやプロメテウスたちが元気に駆け回っているではないですか。

↑はい、「三国志演義」も「水滸伝」も「ギリシャ神話」も(ちゃんとは)読んだことないです。今後も読む予定、今んとこないです

(注:「三国志演義」は"現代的な"訳ですが、それをもとにした、ではなく、「三国志演義」を最近ちゃんと読みました。ものすごくおもしろかったです・2013/12/01)



で、陳舜臣さんの「小説十八史略(一)」を読み進んだ結果

「安土」=「春秋」=「覇者」=「信長」
「桃山」=「戦国」=「王者」=「秀吉」

これ

「安土」=「春秋」=「覇者」=「信長」
「桃山」=「戦国」=「下克上」=「秀吉」

としたほうがいいですかね?

斉藤道三さんや織田信長さんも「下克上」ちゃあ「下克上」なんだろうけど、真の意味での「下克上」は豊臣秀吉さんですよね。


(日本では下克上という言葉は15世紀後半からの戦国時代を象徴する言葉です。
それまでの貴族の地位を、その家臣、または浪人が乗っ取る。

で、たしか、この言葉はもともとは中国のこの時代の言葉。
で、たしか、この小説を読んでると、この言葉の説明がありました。
で、それをもとにしてこの図式を書いたんだとおもいます。
ただし、今、よくわかりません・2013/12/01)




Ⅱ:皮膚感覚


というわけでですね、そんな神話の時代もラストエンペラー"愛新覚羅溥儀"をもって終了したと。

でですね、これは坂本龍一さんがラストエンペラーの撮影で中国に行ったときに聞いた話、だったような気がします。
ただし、例によって記憶頼りなので、まったく違う可能性も大です。
だからそのつもりで読んで欲しいです。


たしか坂本龍一さんがラストエンペラーの撮影で中国に行ったとき、普通の老大人に聞いた話だったと思うんですが。

「毛(沢東)さんが皇帝になってくれて本当によかった。毛さんが皇帝になってから飢えるということがなくなった」
そういう話を聞いたと。

もちろん、僕の大きな記憶違いで、これは坂本さんのお話ではなかったかもしれませんが、すくなくとも中国の老大人の話で「毛さん」「皇帝」「よかった」の三つのキーワードが出てくる話を以前読んだとおもいます。


で、ちょっとあやふやな感じで話を続けますが。

やっぱり、今の人ではなく、中国革命以前の空気も皮膚感覚で知っている人には、知っている庶民の人には、毛沢東さんのことを「皇帝」と捉える人も多かったんですかね?

で、そういう人たちは正直イデオロギーとかはワキに置いといて、とにかくもう毛さんが天下とってからは飯が食えると、少なくとも毛さんは国民に飯を食わせたと、人間飯食わんと死ぬぞと、この圧倒的なリアリティと、よかったではないかと。


もちろん"今の"話ではないですし、もちろん時と場所によっては例外も、もしかしたらかなり深刻な例外もあったでしょうけど。




Ⅲ:でですね、これは司馬遼太郎さんのご本で読んだのは間違いないんですが、それがいったいどの本だったかわからないんですね


だからこれも僕の記(略)なんですが。

たしか司馬さんが中国滞在時に、中国革命の元勲の一人、廖承志(りょうしょうし)さんに聞いた話だったと思います。(まったく違う人の可能性もあります)

たしか廖承志さんの文化大革命発端時の思い出として、廖さんの部屋に、たしか劉少奇(りゅうしょうき)さんがあわてて飛び込んできて。(これは、まったく違う人の可能性高いです)


「大変だ!皇帝が宮殿に宦官を引き込んだ!」

と。


いつものように、僕の大きな記憶違いで、それは廖承志さんのお話ではなかった、劉少奇さんのお話ではなかった、かもしれませんが、すくなくとも「皇帝」「宦官」の二つのキーワードが出てくる話を以前読んだ記憶が確かにあります。

でですね、もちろん「皇帝」は毛沢東さん、「宦官」は四人組さんなんですね。
まあ、だから、毛さんの「皇帝」というのはニックネームではないですが、結構みんな(たぶん本人がいないとこで)そう呼んでいたんですかね。
わかりやすいということで。



でですね、これは柄谷行人さんのご発言の無責任抜き出し引用なので書いてあるのは確実です。
ただし無責任抜き出し引用。


『批評家っていうのはやっぱりほうっておくとすごい権力意識があるんですよ』
『テクストを解放するなどといっても同じだね。解放する人は支配するのだから』
『文芸批評家の権力意識っていうのはものすごいわけ。普通の政治家よりも格段に強いです』
『中国における文革は何をめぐって発生したと思いますか。文芸評論をめぐってだ』


(注:あきらかに柄谷さんの引用は唐突です。
言い訳ではなく、これは中国のことを語りたかったわけではなく、当時の、2011年1月の、僕が置かれ始めていた環境への疑念不満がこういう形で出てき始めてる。
そうおもってほしいです。
なにかと始まっていました。
そんなころです・2013/12/01)

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