Saturday 30 November 2013

イラッとしたんで書く、という意味がでかいんだけど

なんとなく

己に逆らった、邪魔、という理由で警察捕まる人もいれば
もちろん、いろいろでしょう、ホントに違法もあれば、はめられたのも、いろいろ

で、それとは逆に、有名だから、社会的影響が大きいからという理由で、なにしても、ばればれでもスルー

どころか、もう塗り固めようと

なんかバランスわるいな

さ、書いてスッキリ

寝よ

ま、この文章は残るからね

単にのころんじゃなく

古事記や日本書紀やガリア戦記のように残る


のころ、じゃなく、のこる、だね

では今、夜の人も朝の人も昼の人も、他の時間の人も

おやすみなさい

ときたま☆のりたま まとめのまとめ 26‐41

 
26.へくしょん
 
 


いうわけで


Ⅰ:まごころを君に

ブランコです。

僕はロボット・怪獣・オバケ好きでして、「映画とブランコ」で連想するものは、どうしても『新世紀エヴァンゲリオン第26話「まごころを君に」』の下から撮った実写のゆれるブランコシーンとかになっちゃうんですね。

(注:「映画とブランコ」、記憶は定かでないのですが、このブログを書いていたOCN Cafeで知り合いになった方、第九地区を勧めてくれた方、とのネット上での会話でこういう話になったのだと思います・2013/11/13)

でも、ああいう感じの実写(アニメでもありますね)の撮り方・使い方(厳密性を必要とする肝心のトコで”感じ”とか言い回しでごまかす言葉使ってごめんなさい。僕はそれを端的に表現する言葉を持てていないんです)って、何て言えばいいのかな?一応テンプレートみたいなものがあるんでしょうか?技法・作法として何か名前がついているというか・・・
この○○という撮影・演出方法は△△監督が初めて「◇◇」という映画で使用した。みたいな、といいますか。


でも僕は素直(マジで!!)な男なんで、新世紀エヴァンゲリオン第25話「Air」は、まあ「アリア」ですよね。
で、第26話「まごころを君に」はやっぱり”まごころを君に”という題名”だけ”から判断して「アルジャーノンに花束を」なのかな?と思ってしまいます。

んで、「アルジャーノンに花束を」は随分、随分前、まだ読む前、友達にあらすじを聞いて(ネットなんて、庶民レヴェルではまだどこにもない頃です)、「え!?それ『レナードの朝』じゃん」と思ってしまった記憶があります。

あと、僕にはやっぱり、ブランコは基地のフェンスですね。
つうても、その向こうは日のあたるだだっ広い芝生の公園で、決して禍々しさの象徴ではないんです。




Ⅱ;マハリクマハリタ

んでもって次回の東宝~は「キングコング対ゴジラ」(昭和37年公開)です。

「ゴジラ対キングコング」では決してありません。「キングコング対ゴジラ」です。
読んだ時のリズムの落ち着きってのは重要なんでしょうな。

「マジンガーZ対デビルマン」とかは別に互いの対決があるわけではなく、共闘、互いにエールを送るって感じだったけど、これは当然戦うんですな。つうてもまさかアンギラスのようにキングコングがゴジラにあえなく敗北ってことはできないだろうから何となくグダグダな結末を想像もしてしまいますの。ゴジラがヒールでキングコングが何となくいい奴になるんですかな。

それはそれ、あまり事前情報を仕入れることなく二週間後を楽しみに待ちましょう。

そーいえば、僕が子供の頃はドーム球場なんてなかったので、雨が降るとプロ野球の試合は中止になり、したがってテレビでの野球中継も中止になりました。
で、新聞のテレビ欄には「野球の試合が中止の場合は○○を放送」と前もって表記してありましたが、そこに「グレンダイザー対グレートマジンガー」の文字を見つけた時はもう大変でしたねぇ。
是非、観たかったですねぇ。当時はビデオとかも一般家庭にはまだまだ普及してませんしねぇ。
「吹けよ風、呼べよ嵐」と、エロイムエッサイム、エコエコアザラク、うらみはらさでおくべきか、などなど僕が知りうる限りの呪詛の言葉を駆使して野球の中止を願いましたねぇ。

ま、その甲斐もあってか、その日は一日中いい天気でした。



Ⅲ:?

さて明日は待望の(つうほどでは正直ないですが)東宝特撮映画DVDコレクション第8号「キングコング対ゴジラ」(昭和37年公開)の発売日です。

とりあえず前回の「ゴジラの逆襲」に収録されていた予告編以外の事前情報は目にしないようにしてますが、コングさんやっぱり美女を握って高層ビルに登っちゃったりするんですかね。
あれ?でも当時の日本の高層ビルといったら何だ?霞ヶ関ビルか?

え~と、日本最初の地上高100メートル越えの霞ヶ関ビルは昭和40年の3月に起工と。
つうことは映画公開当時はまだ影も形もないですな。←これ調べちゃいました

つまり昭和37年の日本にはまだコングさんが登れるような高層ビルはなかったと。

ただコングさん。
今回はゴジラさんとマッチメイクされているために身長がゴジラさんと同じ50メートル前後に設定されていますが、本家のコングさんもそこまで巨大でしたっけ?もうちょい小っちゃかったような・・・あれ?本家のコングさんもリメイクされた時に身長設定巨大化したんでしたっけ?
そこんとこよくわかりません。

とりあえず何処ぞの天守閣を挟んで睨み合うコングさんとゴジラさんの写真を見ましたが、天守閣のてっぺんが互いの胸のあたりです。
ということで、天守閣に登って「絶景かな×2」とコングさんがやるのは無理っぽいです。

ちなみに東京タワーはすでにたっていたんでしょうが、大きさのバランスからいって、東京タワーにコングさんが登っても小学校の運動場にあった"のぼり棒”をよじ登ってる感じになっちゃうような気もします。

あと著作権だか肖像権だか知りませんが、今回のマッチメイクにあたってコングさんの権利関係はどうなっていたんだろう?どこかに大枚叩いたのかな?

ま、とりあえず"無知"のまま明日を楽しみに待ちましょう。
それが一番。




Ⅳ:今は昔

ちょうど昭和30年くらいに日本経済は戦前の水準を回復(「ゴジラの逆襲」の頃)、そこから高度成長が始まったわけですが、まだまだ当時の日本国(昭和20年8月スタートとして)は大して高いビルもない”これから”の若い国だったんですね。

で、”これから”の”それから”は東宝特撮映画DVDコレクションを買い続ければおいおい其処此処に浮かび上がることでしょう。
特に昭和46年公開の「ゴジラ対へドラ」とかね。
なんとなく。

もちろん”これから”の”それから”も「今は昔」ですけどね。




Ⅴ:ちょっとメタボなゴジラです

結論からもうしますと、コングさん、浜美枝さん演じる桜井ふみ子さんを握り締め国会議事堂におのぼりになられました。
が、いかんせん身長と建物の差がたいしてなく、これまた運動場の朝礼台にのぼった校長先生のような感じではありました。←したがって、”登る”つう感じではありませんでした
でも国会議事堂つうのは当時の安保運動とかとも何かリンクしてるんですかね?

その後、コングさんは麻酔で眠らされ、世紀の一戦を行なうためにゴジラさんが待つ富士山に防衛軍のヘリで輸送されます。
もしや極東の島国には自身を満足させる高層ビルがないことに業を煮やしたコングさん、そのまま富士山登山に挑むんじゃないだろうなという考えが一瞬頭をよぎりましたが、さすがにそれはありませんでした。

さて試合開始です。
口から放射能をはくという、口から火を吹いたプロレスラーのザ・シークさんも真っ青な悪逆非道ぶりを誇るゴジラさんに、何故か帯電体質になったコングさんも相手を触って感電させるという小技で対抗、両者拮抗したまま最終的にはもつれあって海中に没して試合終了となりました。
その直前に”お約束”の熱海城天守閣破壊シーンも盛り込まれていましたが、もう完全に”お約束”、ちょっと”いらぬ殺生を”感も漂いました。

んで、付属ファイルを読むと、この映画ははっきりと昭和33年のプロレス世界選手権争奪戦「ルー・テーズ対力道山」にちなんだ怪獣王座決定戦な娯楽作として製作されたみたいです。
まあゴジラさんが世界的大スターだったから組めた試合だったんでしょうね。

両者リングアウトな結末はちょっと残念な気もしますが。




Ⅵ:まだ続く「キングコング対ゴジラ」話なのであった

もしかしてアレですか?アレは建築的には何て名称なんでしょう。あの国会議事堂の中央の塔。アソコのあの形に惹かれてコングさんのぼっちゃった?エンパイア・ステート・ビルのてっぺんのように見えんこともないと。
あ、そういうことか?

と思いきや、この映画公開の2年後にホテルニューオータニ本館が建てられるまでは、国会議事堂が建物自体としては日本で一番高かったそうです。

で、やっぱりアメリカの映画会社に大枚叩いていますね、5年契約で8千万円ですって。(この年の大卒初任給1万8千円くらい)
だからこの契約が切れる前にということで、よく見たら昭和42年に「キングコングの逆襲」が製作されていますな。

でで、昔はテレビの視聴者を聴視者、視聴率を聴視率と言っていたのだなと分からせてくれた有島一郎さん演じる多胡部長をはじめ、登場人物の掛け合いには全体的にユーモラスな雰囲気が漂っています。
それは怪獣さん達の激突にも言えることで、どことなくユーモラス、本当に家族皆で楽しめる娯楽映画になっています。

さて、どこでそうなった?
最初の「ゴジラ」は一級の娯楽作品だとは思うけどコレとはちょっと質が違うよな。
アレは真面目に嘘話をやっていたけれど、コレは嘘っぽく嘘話をやっている。
やっぱり前年公開の「モスラ」や本作が来るべき怪獣映画の"子供向け"への転換点なのかな?
そこらへんはまだよくわかりませんな。

やっぱり高度経済成長で人々の生活がだんだん豊かになって嗜好するものも変わり、怪獣映画の位置づけが変化したのかな?単に何作も作り続けているうちに、自然とそういう流れになっていったのかな?

もちろん昭和40年代になるとテレビの「ウルトラマン」とかからのフィードバックが大きいんだろうけど。




Ⅶ:まだまだ続く「キングコング対ゴジラ」話なのであった

やっぱりコングさんこの映画製作にあたってアチラの映画会社から「顔の造形を本家と変えとくれ」つう注文を受けていたみたいですな。
だから「キングコング対ゴジラ」に出てくるコングさんは、厳密にはアチラのコングさんとはよく似た別の生き物なんでしょうな。

どっちにしろ架空のバケモンじゃねえか、なんてせつないコトはいっちゃ嫌。



・・・・・・・・・



27.と



いうわけで



Ⅰ:重み

何かを調べるとします。

「ワンランク上の炒飯の作り方」でも「美味しい玉露の入れ方」でも「正しいみじん切りの仕方」でも何でもいいんですけど。
で、ネットでちょっと検索すれば、すぐに求める情報が玉石入り乱れてではありますが、ダーと無料で出てきます。←ええ、もちろんネットにつないだ時点で毎月お金払ってますよ

マジで便利で素敵な世の中になりましたが、僕は正直、いまいちそこに書いてある内容が頭に入って来ないコトも多いんです。
もちろん、それはそこに書いてある内容が空虚だから、という理由ではありません。
完全に僕自身の問題として、書いてある内容が頭に入って来ないコトも多いんです。

だから結局、僕はその調べたい対象についての本を本屋で探し、その書いてある内容に対しての対価をちゃんと支払い、晴れてその念願の情報を入手することになるんです、というコトはあまりなく、実際は図書館に行き、その調べたい対象についての本を探し、その書いてある内容をタダ見して、晴れてその念願の情報をここで横流しすることになるんです。

つうほどのことでもないんですが、やっぱり僕は本で読んだほうが、PCのデスクトップ上で読むより書いてある内容が頭に入ってきます。例え書いてある内容が本・PCまったく同じでも、僕は本のほうがよく頭に入ってきます。

図書館で探し出した本の中から必要な部分だけをコピーし、家に帰って読んだりすることもありますが、これもやっぱり”頭に入ってくる”ということに関してはいまいちだったりします。

製本してあるモノを手に取って読むっつうのが、僕の思考回路にとっては重要なプロセスなのだろうか。

う~ん、アナログ。

でも僕みたいな人も多いだろうから、ネットが今後どれだけ発達しても製本という形態が滅びることはないだろう。
と、思いたいけど、これからは本なんかじゃなくてPCや携帯の画面上で読まないと内容が頭によく入ってこないよっつう人も増えてくるんでしょうね。

新聞に関しては気づかなかったコトにしよう。




Ⅱ:喰っても喰っても猶餅がある

ぢつと手を見る

さて、さすがにおっさんにもなると、やっぱり十代の時みたいには体が甘い物を受けつけなくなってきてますね。
前にも書いたような気がするけど、普通のコーラは僕にはもう甘すぎで飲むのがきつくなってきてるし。
よっぽど疲れているときは別ですが、炭酸も普段はダイエットコーラくらいの甘さの方が僕には調度よく、美味しく飲めます。

つうのも今は昔。今ではダイエットコーラを飲むコトもあまりなく、炭酸飲むなら"炭酸水"です。という文章をシュークリーム片手に書いてます。




Ⅲ:幸せな時間はすぐに過ぎ去りますな

おいしゅうございました。


さて、お馬鹿がお馬鹿なコト書きますよ。

僕が自分で温めた、平べったい自家製の小さめの二つの餅の間に、イチゴとアンコを「せいや!」と挟んだらそれはもうイチゴ大福なの?

つうわけでイチゴ大福のレシピをネットで検索してみたら、どうやらそう簡単な話でもなさそうですな。
中々難解です。

ほ~アンコとイチゴを包むのは餅ではなくて、白玉粉を練ったモノなんですね。
ん?あってますよね?

が、別に包むのは餅でもかまいませんよね、大福っつうくらいだから。
ただあれか?量か?
それぞれの量のバランスが問題なのか?
全体に餅が占める割合が多すぎると、食感はもとより味にも悪い影響が出てくるのか?
う~ん、やっぱり難解だ。

ま、どちらにしろ一回作ってみっか!!

当然、検索したレシピは無視、僕が思いついた『自分で温めた、平べったい自家製の小さめの二つの餅の間に、イチゴと餡子を「せいや!」と挟ん』でな。




Ⅳ:が、またすぐにやってきますな

おいしゅうございます。


え~やんわりと指摘してもらいましたが、完全に頭から"団子"つう発想が抜け落ちていました。
そうだよ団子だよ。何だよ餅って。
あれ?そうするとみたらし団子とかのアレも白玉粉を練ってつくるの?

(注:これもOCN cafeで知り合いになった方とのネット上での会話からです・2013/11/14)

おや!?

ここは素直に検索してみると、今の今までアレは餅だと僕がぼんやりと思っていた事実は内緒にするとして、白玉粉はやっぱりそうだけど、上新粉つう新たな粉も登場してきたぞ!!
さて、この二つを混ぜる(あと砂糖もか)理由はなんでしょうな?モチモチした食感とかですかな。

でも"みたらし団子"って団子に「み」をたらしてるから"みたらし団子"?
「み」って何じゃ?
三温糖てのがソレ?
三温糖って何じゃ?
団子の名前が「みたらし」だから"みたらし団子"?
なんでそんな名前に?

まあこれは後で調べよう。
ただ昨日みたいに「あのさ~餅の中にアンコいれたのが大福だよね?」「そうなんじゃない?」つう謎の自問自答はやめてちゃんと調べよう。

そうそう白玉粉を練ったのが白玉(でしょ?)。
つうことは片栗粉を練ったのは片栗か?
片栗って何じゃ?
あと上新粉って何じゃ?
ま、まだまだ謎は深まるばかりだけど今日はこのへんで勘弁してやるか。




Ⅴ:男の手作りコロッケカレー

失敗。

何これ?まったく味がしない。
これはどう表現すればいいんでしょ。

甘~いチョコレートパフェを食べた直後に、微糖の缶コーヒーを飲んだ感じ??

僕の手作りのカレーが醸し出す(はずの)コクのある辛さと、買ってきた出来合いのコロッケが醸し出す(はずの)深みのある旨味が見事に相殺されています。
食べても食べても何の味覚も覚えません。
覚えないもんだから逆に「何で?」と食が進んでしまいました。
現在、微妙な時間帯にもかかわらずお腹いっぱいであります。ちょっと苦しいであります。

さて今回の敗因は何かな?
なぜ僕が精魂込めて適当に作った中辛カレーと買ってきた出来合いのコロッケと炊いて数時間のご飯を混ぜたら、スプーンの冷たい触感を味わうのに非常に適した、無味無臭の謎の食品が完成したのかな?

僕が無知なだけで、そもそもカレーとコロッケを一緒に食べると味ってなくなるのかな?

う~んわからん。
謎は深まるばかりです。



Ⅵ:調

料理なんですけどね。
ホント凄いですよね、いろいろな調理法。特にずっと昔からある調理法。
昔の人、よくそんなもん食べれると思ったなぁとか、そのままじゃとても食べられない食材をいじくり倒してよく食べれるようにしたなぁとか、ほとほと感心します。

で、ちょっと小声で。

ず~と、ず~と昔、奴隷の人たちを生贄として簡単に殺しちゃったりしていた頃。
料理専用の奴隷の人たちがいたりもしたんですかね。

いろいろ食べさせてそれが安全かどうか調べるための・・・



・・・・・・・・・
 
 

28.なんじゃこりゃ (注:2013/11/15)
 
 


いうわけで



Ⅰ:なわばり

今まで黙っていたけれど、上、下、右、左、という感覚が僕にはありましてね。

まあ、そんなん誰にでもありますわね。
で、僕が言う↑とは、あくまで「僕」を中心とした天動説的世界感覚のコトなんですね。
つうか僕にとってあくまで世界の中心な「我が家」視点の世界認識のことなんですね。僕が存在しているこの瞬間の世界の中心は間違いなくココなんですね。

で、おかしなことに何時までたっても僕の背中に羽も生えてこなければ、手がドリル状になることもない。
天上の青を切り裂いて糸も垂れてこなけりゃ、黄泉の国への入場券も伊邪那岐命さんに買い占められちゃったのか、僕まではまわって来ない。僕が存在する世界は延々平面、地べたにへばりついてる二次元空間なんですね。
だからまあ感覚として、上、下、つうのは前、後、なんですね。上(前)、下(後)、右、左、なんですね。

んで、それはいわゆる東西南北とは一切無関係で、僕にとってあくまで世界の中心な「我が家」視点の上(前)、下(後)、右、左、なんですね。なおかつそれは、あくまで僕がこの世に生まれてきた意味、「散歩」をする圏内に限って発動される感覚なんですね。僕は散歩をする時、自然と「今日は上の方に行こ~」「久しぶりに右の方に行くか~」とか思ってるんですね。ちなみに、大体半径12~3キロ以内が僕の「散歩」の圏内なんですね。

でも、その圏内を越えると、それが”上”の延長上に在る場所でも、よく馴染んだ場所でも、そこはもう”上”でもなんでもないんですね。

ん~圏外でもある程度までなら基準として「我が家」を置いてるかな?どうかな?

おや?何時にもまして話がグダグダになってまいりましたが、言いたいトコはソコじゃないんで端折りまして、上(前)、下(後)、右、左の話です。
かなりざっくり言って、僕にとって上(前)はわりと鄙びた方で、下(後)は繁華な方。んで、当然それにともなって右&左も決定されると。もちろん東西南北とは一切無関係に。
で、もう少し細かくわかれちゃいますが、何があるというわけじゃないのに、何となく好きになれない方向とかも出てくると。

いえね、この「上(前)、下(後)、右、左」てな感覚、はっきりしないまでも結構な人にこれと近い感覚はあるような気がするんです。
で、どっちを上とするか、下とするか、方向によってその価値を高いとしているか低いとしているか、まったく平等か、好きになれない方向というものがあるか、とか、それぞれ調べていくと、結構その人の”人となり”が分かっちゃうかも!!

みたいな。

あれ?最後までグダグダだ。





Ⅱ:幼児洗脳の恐怖とその解除への道標たるべき一考察

私は小さい頃、野菜が嫌いでした。

したがって、食卓に野菜が出てもめったに食べませんでした。
それはそうでしょう。人間は誰だって生まれながらにして、公共の福祉に反しない限りにおいて自分の意思を貫く権利を有しているのですから。
野菜を嫌いな私がそれを食べなければいけない義理も義務もないのです。


ああ!あの大空を翔る天馬のような日々よ!
そう、私の魂は確かに自由だったのです。
しかし、そんな黄金の日々を過す中、私の魂を煉獄へと導く恐ろしい計画は静かに静かに水面下で動きだしていたのです・・・


ある日の夕食、いつものように野菜を残している私に母が言いました。
「野菜もちゃんと食べんね」〈なんという細緻かつ狡猾な切り出し方!〉
「もうお腹いっぱいたい」
そう言う私に対する母の言葉。私はこの残忍極まる言葉を一生忘れることはないでしょう。


「よかね。野菜は他の食べ物とは違う胃袋に入るけん、お腹いっぱいでも食べれるとよ」


ショックでした。


私は「お腹いっぱい」を理由にいままで野菜を食べることを拒否し続けていたのです。
それなのに人体には野菜専用の胃袋があるというのです。
野菜を食べることを拒否する言葉の継穂を失った私は、しぶしぶながらも野菜に箸をのばしました。

それからというもの、「もう食べれんたい」という私に、母は「違う胃袋にはいるけん、食べれるたい」と、パセリだのレタスだのキャベツだのブロッコリーだのホウレン草だのアレだのコレだの食わせること食わせること。
私の方も「違う胃袋ならしょうがなか」と食べること食べること。

なんという悲劇!なんという非人道性!!

しかし物事には始まりがあれば必ず終わりもあります。
ついに私が魂の煉獄、心の呪縛から解き放たれる日がきました。

あれは、たしか、そうたしか、中学の学生服がようやく体に馴染んできた一年生のある秋の日の午後のことだったと思います。

ちょっと待て!
中学生になるまでお前は人体に胃袋は二つもないと気づかなかったのか?
読んでくださっている皆さんそうお思いでしょう。もっともなことです。
もちろん私にもわかっているのです。人体に胃袋が一つしかない事は。

いや、本当にわかっていたのか・・・

私の中で「胃袋は一つだけ」と「野菜は別腹」はすでになんの矛盾もなく共存してしまっていたのです。
それどころか、食道を通過する時、野菜だけベルトコンベアーの様に途中で選別されている光景を想像してしまったりすることもあったのです。

これは決して私の頭の中がアメリカの綿花畑ばりに広大なお花畑だったからでも、うちの近所のノラネコ並みに強烈なマザコンだったせいでもないのです。

これこそが洗脳の真の恐怖なのです!!
このような悲劇を繰り返してはならないのです!!
そのような思いで、私は今こうして慣れぬ筆をとっているしだいなのです!!
ではなく
打ちなれぬキーボードを、たどたどしい指使いで叩いてるしだいなのです!!


・・・さて話をあの秋の日の午後にもどしましょう。

私はあの日の午後、グーグーなる腹の音を気にしながら、窓側から数えて4列目、前から3列目の席に座り英語の授業を受けていました。伸び盛りだった私にはお昼の購買部のパンだけではとても足りなかったのです。
もちろん授業の内容など頭に入ってこようはずもありません。それよりも近くの席に座っている周りの連中に腹の音を聞かれやしないか、そればかりを考えていました。ヒヤヒヤしていました。ああ早く何か食べたい。お腹を満たしたい。でないと皆に笑われてしまう・・・

その時です。その時だったのです。
ハタと気づいたのです!

ありえん




Ⅲ:小姑魂に火をつけて

おい!なんだこの部屋は?掃除したの何時だ?何処に座ればいいんだ?この流し台のトコに溜っている洗い物は何年物だい?これカビだろ?水まわりは常に綺麗にしとかなきゃ駄目だろ!自炊はしないのかい?このキッチンでしてるわけないか?だからこんなに床にコンビニ袋が散乱してるんだな。フローリング見えねえじゃねえかよ。そんなコンビニ弁当ばっかり食べてたら駄目だろう。ちゃんと綺麗にしてさ、自炊しなよ。コンビニや外食ばかりじゃお金勿体無いし、栄養も偏るぞ。どうせ好きなもんばっかり食べてるんだろ?ちょっとは自分で料理しろ。気分転換にもなるしな。ん?俺?ああ、料理は結構するよ。ま、簡単なもんばっかりだけどね。チャーハンとか。食わせろ?ああ、ん、ま、そのうちな、機会があればな。そんなことより、なんか空気悪くないか?窓開けてくれよ。で、彼女はできたのかい?もうちょっと落ち着いてから?出会いがない?君さぁ、駄目だよそんな考え方じゃ。何時までたっても彼女なんかできるわけないよ。いいんだよ出会いなんて不純で。出会いが不純でもそっから真剣な付き合いをすればいいだけだろ。ちょっと!こんなとこにペットボトル転がってるぞ。だから常にいくつか可燃・不燃のゴミ袋用意しといてさ、別にスーパーのレジ袋でもいいからさ、どっかに吊るしといてゴミが出るたびにマメに分別するんだよ。だからそのまま入れるな。ちゃんとキャップとラベルは別にしとけ。二度手間だろ?で、何の話だっけ?ああ彼女か。だから、もっとバーンと押さなきゃ駄目だろ。ストーカーはいかんぞ!でもある程度積極的にいかないと出会いなんてあるわけないだろ?運命の人を気長に待ってたら来世になるぞ。ちょっと!こんなとこに割り箸転がってるぞ。だから常にいく・・・

と、このように、どうして人間は自分ができないことを人様には偉そうに言えるのでしょう?




Ⅳ:漢

そこな若いの、まあ聞きなされ。

昔々・・・そうじゃのう、あれはまだ暴対法が施行される前だったかのう、銀玉鉄砲という恐ろしく安価な銃器が世の中に大量に出回っておってのう、全国津々浦々で漢達によるそりゃもう壮絶な銃撃戦が日々繰り広げられたものだったのじゃよ。

もちろんそれはワシの町でも例外ではなくてな、そこここには喊声をあげながら銀玉鉄砲をかまえて走っていく漢達の姿や、"カチャ"という銀玉を発射する音があふれかえり、善良な市井の人々は恐れおののき家の雨戸をきつく閉め娘を隠し、町は禁酒法時代のシカゴなんて目じゃない無法地帯と化しておったのじゃ。

そんなある日のことじゃった。
「だれがこの町で一番の漢か決めようぜ」と言い出した者がおってのう、そうなるとワシらはもう誰も後にはひけんのじゃよ。こうして町全体をテリトリーに全員でやりあって最後に残ったものが「町一番の漢」となる勝負、バトル・ロワイヤルがはじまってしまったのじゃ。

ワシは戦った。
そう、何人もの親しき友をこの手にかけた。
しかし後悔はしておらん、ワシが手にかけた友も決してワシのことを怨んではおらぬじゃろう。
まあ、この時のワシらの心情は今の人にはとても理解できんかもしれんがのう、やるのもやられるのも紙一重、ワシらは共によく戦ったのじゃ。

幾度かの死闘のあと、気づけば日もすっかり暮れ、残っているのはワシともう一人だけじゃった。
そこでワシらは灯りがある公園に移動し最後の決着をつけることにしたのじゃ。
この決闘に勝利したものが「町一番の漢」、静寂の中にも緊張感で空気も震え、まわりにはまるでそこにおるかのようにワシが手にかけた友らの姿が浮んでおった。
「勝負は一瞬できまる」そう、ワシらにはわかっておったのじゃ。
「この手にかけた友のためにも絶対に負けられない」お互いジリジリと間合いを詰めていったその時「あんた何時まで遊んでんの!」と怒髪天をついて現れた母に耳を引っ張られて家に連れてかれたとさ。

めでたしめでたし。




Ⅴ:恋文

おはようございます。がっつり。がっつり。がっつり。つり。寝てました。今日も一日。現か夢かわからん。ステキな一日にしましょう。が。そのまえに。また寝ましょう。いいから寝ましょう。ステキに寝ましょう。夢か現かわからん。ステキな寝にしましょう。いいからしましょう。しなさい。しろ。俺の胸がくるしいから。妙にくるしいから。なんだ。ああ。これは鯉。おや。いただきます。ではなく。恋。そうか俺は寝に恋をしたか。これははやく。はやく。はやく。はやく。はやく。逢いに行かなければ。寝に。逢いに行かなければ。まってる。寝がまってる。俺のことまってる。絶対。まってる。はやく。はやく。はやく。はやく。逢いに行かなければ。行かなきゃ。ラブレターも。まるで昭和50年代なラヴレターも。というか。恋文を。読んだ相手が。したがって寝が。読んだ後に三日三晩うなされるような。念のこもったこいふみを。生涯忘れられないようなこいふみを。書かなければ。書かなければ。いますぐ。書かなければ。そう。書かなければ。月の時間に書かなければ。今宵は十五夜でしたか。違いましたか。その力も借りて。書かなければ。でも。どう書こう。何を書こう。わからないじゃないか。書けないじゃないか。何も書けないじゃないか。書きたいことはたくさんあるのに。何も書けないじゃないか。俺には無理だ。と。いうわけで。ここは呪文にたよりましょう。呪文。Do You Believe?I Believe.たよりましょう。はやくたよりましょう。だって。寝が。寝が俺のこと待ってる。遠い街で。俺のこと待ってる。呪文。Do You Believe?ええ。信じる。俺は信じる。魔法を信じる。月の時間限定かもしれんけど。俺は魔法を信じる。では。みなさんご一緒に。Super Califragilistic Expiari Docious!!そう。夢の扉開けるための言葉。Do You Believe?I Believe.というわけで。寝ましょう。いいから寝ましょう。寝なさい。いいから寝なさい。今お仕事中。時間帯的にまだ寝る時間ではない。という方でなければ寝ましょう。ま。いいから寝ましょう。寝なさい。はい。おい。寝。きいているのかい?君に話しているんだぜ。君だけに話してるんだぜ。だって。ほかは。ノイズじゃないか。結局。ノイズじゃないか。興味が無い。そう。寝にまさるものがこの世のどこにある?ん。あるのかい?君達にはあるのかい?そうか。それは素晴らしい。でも。俺には寝しかないのだよ。他は何もいらないのだよ。興味が無い。昔もない。今もない。今後もない。興味がない。寝。きいているのかい?君に話しているんだぜ。君だけに話してるんだぜ。いや。別にきかなくていいから。とにかく寝ましょう。いいから寝ましょう。寝ろ。そりゃね。こう書いているとね。目もさえてきましたよ。今から缶コーヒー買いにいきますよ。が。健康第一。寝ましょう。





Ⅵ:みなさんおやすみなさい

よい夢を



・・・・・・・・・
 
 

29.まあいいではないか
 
 


いうわけで




Ⅰ:発光妖精とモスラ

なるほど、そう気ましたか。
これはどうあっても特製バインダーを買えってことですかな。
当初からの規定路線ですか、製造コストが安くつくとか?

おっと、これは何の話やらですな。
現在(20091125)絶賛発売中の東宝特撮映画DVDコレクション第5号「モスラ」の話なのでございます。
と言われても、やっぱり何の話やらですな。

※知りたい人は今すぐ最寄の書店へGO!
税込み1,990円也なのでございます。
どうぞこちらへいらっしゃいなのでございます。
仲間になぁ~れ~なのでございます。
死なばもろともなのでございます。※

で、華麗かつ甘美なクイックターンをここでいたしまして

なんと「モスラ」(昭和36年7月公開)には三人の小説家によって書かれた「発光妖精とモスラ」(別冊「週間朝日」発表)という原作小説があったのですな。
調べてないので、モトからあった小説を映画化したのか、モトモト映画の原作として書かれたものなのかはちょっとわかりませんけど、お三方の中に堀田善衛さんがいらっしゃるじゃないですか。
これは読みたいぞ!

で、秀麗かつ耽美なタッチターンをここでいたしまして

前回の「海底軍艦」のラスト、序破急つうても急すぎ、駆け足すぎないかい?と言っておいてなんですけどな、「モスラ」のラスト足踏みしすぎじゃないかい。
ま、もちろん十分面白いんですけどね。それは前提で。
なんかニューカークシティーを(無駄に)破壊しながら飛び続けるモスラさんと同じように、観ているこっちもじらされちゃったぞ!←ロリシカ国のニューカークシティーです、ニューヨークの書き間違いではなかとですよ
と言われても何の話やらですな。

繰り返し※~※

で、貪戻かつ淫靡なゴールタッチにたどり着きまして

このDVDコレクションのファイルなんですけどね。
データも豊富、当時の四方山話も盛りだくさんで読んでて面白いし、付属の(かな?)当時のポスターを隅々まで見ているだけでもご飯が三杯はいけますけどね。
ただ”特撮”ってついてるからしょうがない事ではあるんですけどね。
こう円谷特技監督ばっかりクローズアップされてる気がしましてね。
もう少し監督の本多猪四郎さんのことも掘り下げて欲しいなぁって。
だって、どの映画も面白いのは怪獣達の活躍はもちろんだけど、人間達の織りなすドラマが面白いってのも絶対にありますからね。
本多さんの手腕もかなりあるんじゃないのかなぁ。

ところでフランキー堺さん演じる主役の「福田善一郎」、これは原作者の、中村真一郎、福永武彦、堀田善衛、お三方の名前を組み合わせたものですな。

ちなみにこのファイルには、公開当時同時上映だった映画の名前ものっています。
で、「モスラ」と同時上映だった映画、これはちょっと面白そうだぞ。
いったいどんな映画なんだ?
しかしこれはDVD化はもとよりビデオ化もされたことないんじゃないか?
う~ん、残念。
いやね、映画の名前がね凄く気になるんですよ。
と言われても何の話やらですな。

繰り返し※~※





Ⅱ:自

朝からなんですが、ふと思ってしまいました。

まあ260年間を一括りにして考えるのは非常にナンですが、例えば江戸時代。
年間、どれくらいの自殺者がいたのだろう?
単純に現在(平成二十一年度)との自殺者の人数比較は分母の絶対数が違うので意味はなく、人口に占める割合としてどれくらいの人が自ら命を絶ったのだろう。

なんか、平均的に生活自体は今よりも厳しかったけど、自殺者自体は今よりも少なかったイメージがあるんですよね。
まあお侍さんは切腹つうもんがありましたが。(つうてもこれは基本的に自殺ではなく刑罰ですかね)
庶民だって近松門左衛門さんの「~心中」な作品がありますし。(これ生き残ると確かその後の処遇は苛酷なんですよね)
そういえば男が心中に誘って、まず女性を殺したら、怖くなって自分は死ねなかったって男の実話を読んだ"気"がします。

↑は限定的な話ではありますが、自殺する人がいなかったわけではないつうことはわかります。

でも江戸時代って分け方にはやっぱり無理があるのかな?時間という縦の流れだけではなく、横の”面”としてみても。
もちろん、これもその時代々々で、その横の”面”としてみても、その結びつきに強弱はあるでしょうが、当時の日本は実質徳川将軍家を盟主とした連合王国つう感じでしょうし、今みたいに列島津々浦々、画一的な社会ではなかったろうと。
だからそれぞれの天領、それぞれの諸侯の領土で事情は様々で、自殺をする事情も数も多様性にとんでいたかも・・・

マジで朝からなんですがな話になってまいりました。しかも表に出てみれば雨じゃないか。この雨がいけないのだな。ああ、そうに違いない。そう、だって責任転嫁は人間の心のバランスを取るための非常に重要な作業です。という言葉尻に飛びつく人もいるから人間世界は面白い。

ま、どちらにしろ ←これ使ってみてわかりました、これは話を端折り、飛躍を可能にする、きわめてべんりなフレーズですね

ま、どちらにしろ、平均的な生活自体は今よりも全然厳しかっただろうけど、自殺者自体は今よりも全然少なかったイメージがあるんですよね。
そういえば、戦時下では自殺者の数は減るつう話もありませんでしたか。

で、僕の結論ですが、あるんですが書きません。失礼になるかもしれないんで。いいですよね。




Ⅲ:学

高校の頃、「東京の高校生はお前等よりも何倍も優秀だ、だからお前等は東京の高校生の何倍も努力をしなければ受験での勝利はない!さあ勉強をしろ!」と教師の方がよく言っていました。"気"がします。
「そうなんだ。東京の高校生ってすごいんだな」、僕はかなりボーとしてましたからね。素直に信じ込んでいました。

ま、僕の偏差値は底辺というか地べたにへばり付いていたんで、受験戦争云々かなり以前の問題でしたけどね。
ええ、流石に全国模試で偏差値20台をたたき出した時は自分でもびっくりしましたが、しかも同じ模試で0点だったほうが偏差値30台だったのにもびっくりしましたが。

で、どうしたこうしたで東京の大学に潜り込み、仲良くなったかっての東京の高校生にその話をしたら、「地方の高校生はお前等よりも何倍も優秀だ、だからお前等は地方の高校生の何倍も努力をしなければ受験での勝利はない!さあ勉強をしろ!」と言われていたとか。

そりゃそうですわな。

でも勉強を毎日キチッとできるっつうのは物凄い才能ですよね。で、その物凄い才能を持った人間が物凄い努力もしていると。
勉強ばかりしていても小さくまとまるだけだぞっていう意見もあるけど、僕は立派な個性だと思う。たしかに偏りすぎるのは人生いろいろ問題が出てくるのかもしれないけど、これは全てのことに言えることで、勉強に限ったことではなく、別に否定すべきことではないでしょう。

つまり「勉強をキチッとできる才能を持った高校生はお前等よりも何倍も優秀だ、だからお前等はそんな高校生の何倍も努力をしなければ受験での勝利はない!さあ勉強をしろ!」てことだ!!

わかったか受験生!!

と、このように、どうして人間は自分ができないことを人様には偉そうに言えるのでしょう?


でも最近は僕も、ロン毛に茶髪にピアスに制服のズボンは腰で穿きって子が、(大学推薦の面接のためかな?)髪をバッサリ切り黒く戻し、制服もビシッと決めて現れると「おお!大人っぽくなったなぁ。全然今のほうが格好いいぞ!」と素直に口につくようになりました。
随分オヤジっぽい感性だなとは自分でも思いますが、ホントにそう思うんだから別にいいでしょう。




Ⅳ:他人事

テレビで見ましたけど、今(20091013)デジカメ凄いんですね。

ほ~カメラが勝手に撮影対象を動いて探して、勝手に構図を決めて、勝手にパチリと。
ほ~フレームのまわりをぼかすと、ホントだ、ミニチュアみたいに見える。
ほ~定点に置いとくと後は自動で撮り続けてくれPCで連続再生できると。メモリーに一万枚以上、防水もばっちりと。

このへんの技術は詳しい人には当たり前のことなのかもしれないけど僕には「へ~」「ほ~」です。

は、おいといて
家電製品などについて、外国の方にこう訊かれるコトがありました。

「これは日本製かい?」
「日本製ならいいもんだろ?」

なんとなく、あらゆる分野においてメイド イン ジャパンのクオリティーを保持、さらに磨き続けるのがこれからの日本の生き残る道って気もします。
だから間違っても偽装だなんだで自らそれを貶めちゃいかんだろうとも、他人事のように思います。ええ思うだけです。
 
(注:当然、同時に、違う思いもあります・2013/11/16)

もしかしたらそれはもうあまり実質を伴っていないモノかもしれないけど、「神話」は大切ですからね。自ら霧を晴らす必要は全くないんです。霧で誤魔化してるうちにもう一度、実質を伴ったモノにすりゃいいんです。と他人事のように思います。ええ思うだけです。

でもメイド イン ジャパンの世界でのブランド力の凄さを一番分かってないのは日本人自身な気もしますね。

「これは日本製かい?」
「日本製ならいいもんだろ?」

そう訊くと大概「ドコ製でも変わんないよ」と返されるらしいですからね。

日本人に。




Ⅴ:羅馬

今日(20091202)行ってまいりました。
東京は上野公園内国立西洋美術館で開催されている「古代ローマ帝国の遺産展」。

で、紀元一世紀前後のローマの邸宅の室内を鮮やかに彩ったであろう絵画がかなり展示されていて、どれもこれも非常に興味深く拝見させてもらいました。
で、(たぶん)すべての絵画の説明文にフレスコという表示がしてあります。
おお!これがフレスコ画か!
ついこないだ藤田嗣治さんについて書いたときにフレスコ画という単語を使ったんですけど、実はそれが何かよくわかっていなかったんです。
なるほどねぇ、これがそうですか。
これは早い話が漆喰ですか?それが乾く前に塗ると?ほ~やっぱり実物見んとその質感はよくわかりませんね。

まあ大理石のローマ皇帝の胸像やポンペイで発掘された生活用品のお皿などは、その辺で売ってる複製の胸像やちょっとしたレストランのお皿などが展示物に紛れ込んでいても僕には区別がつかんなぁという思いも頭をよぎりましたが、これは区別がつかないほど二千年も前にデザインとして完成されていたのだとポジティブに捉えよう

でもスフィンクスってずいぶんメジャーな存在だったのね。
スフィンクスのテーブル脚部なんてデザイン格好よすぎでPOPでかなり欲しいんですけど。ウチに置き場はないですが。

で、あと一個だけ。
展示されている絵画の中に羽が生えた子供の天使が描かれているものが数点ありました。
これは「キリスト」の絵画様式だと捉えていいんでしょうか?
上に書いたように、展示されている絵画は紀元一世紀前後のものがほとんどだと思います。
すでにローマ帝国内で普通に天使の絵画を飾ることができるほど「キリスト」の地位は確立していたのでしょうか?
それとも「羽が生えた子供の天使」という表現方法はもともと存在し、本来「キリスト」とは無関係なものだったのでしょうか?
もちろん自分では調べません。



そういえば昔、僕が「こんなん今読んでんだよ~」とイタリアの方(女性好きで陽気な方でした)に塩野七生さんの「ローマ人の物語」をみせたら、「ローマ(帝国)が何で滅んだか知ってるかい?ローマの皇帝がキリスト教徒を迫害し、その行為に怒った神に滅ぼされたのさ」と(たぶん)言われてました。
はい、英語だったからようわからんのです。

ま、それはさておき、さすがイタリア、(たぶん)カトリック強し!!



Ⅵ:誰

で、国立西洋美術館もある上野公園にはデンと西郷隆盛さんの銅像が宮城を見つめるように(適当です)建っています。

この高村光雲さん作の銅像の除幕式は明治31年の12月。
その除幕式に招かれていた西郷夫人の糸子さんはこの銅像を一目見るなり「ウチの主人はこんな人じゃないよ」と不満を口にされたとか。

そして実は西郷さんの写真といわれるものは一枚も残っていないことと相まって、西郷隆盛さんは実は巷間伝わっているものとはまったく違う人相をしていたのではないか?つう歴史ミステリーを(一部で)発生させるモトになっています。

肖像写真だと誤解されることも多いのですが、一番”西郷隆盛”の顔として有名な肖像画は、西郷さんと面識がないエドアルド・キヨッソーネさんが、西郷さんの弟や従兄弟の顔を合成修正してこしらえたものです。絵です。
んで僕の中の西郷さんのイメージもやっぱりそれです

で、で、実は僕は上野の西郷さんの銅像は人生で二・三回くらいしか見たことありません。
だから初めて見たときのこともわりと鮮明に覚えています。あれは上京してしばらくたった頃のことでした。
上野で友達と待ち合せをし、ちょっと待ち合わせまで時間があったため「せっかくだから西郷さんでも見に行くか」と今はなき聚楽台横の階段を上りました。

「誰?」

これが僕が上野の西郷像を見た瞬間感じた思いです。
思わず「西郷さんはこんな人じゃないよ」と不満を口にしそうになりました。
そうなんです。僕の頭の中ではキヨッソーネさんが描いた”西郷隆盛”が”西郷隆盛”として不動の地位をしめています。
そんな僕が上野の西郷像を見て感じた思いが「誰?」なんです。

印象つうもんは人それぞれなんで、あくまで僕の個人的感想ですが、西郷夫人の糸子さんが「ウチの主人はこんな人じゃないよ」と言われたのは、単純にあの像の顔が旦那さんにあんまり似てなかったんじゃないですかね?
もちろんかもし出す雰囲気も。

つうか西郷隆盛さん、ほんとうは西郷隆永さんだぜ!て話はまた今度。




Ⅶ:秋

僕はとりあえず本を買ってしまう習性があります。
読むかどうかわかんなくても買ってしまいます。
したがって後になって「?」なことにもままなります。

この「西郷南洲遺訓」とかいつ買ったっけ?
しかも中の文章すべて当時のままなのね。
返り点が目に痛い。
読み下し文も併記はされとりますが、当用漢字もなんのその。

まだ英文の(短い)メールとかのほうがわかるかも。
これは英語で話しかけられてる感じかなぁ。話の方向性と言わんとするトコは何となくわかる程度で。
而して大ハズレもあると。

でも昔の人は、もちろん寺子屋にしろなんにしろ文字を習った人つうことで、昔の人はこれを普通に読んでいたのね。
ま、これが普通だったんだから普通に読むのは普通のことで当たり前か。



・・・・・・・・・



30.モゲラ出現
 
 


いうわけで



Ⅰ:堕落論

さて東宝特撮映画DVDコレクション第10号「地球防衛軍」(昭和32年12月28日公開)です。
いや~面白い。まあ一連のシリーズの中で僕はこれを一番観たかったので、作品を観る前から騙される気満々ではありましたが、面白い。

特に前半部、フィルムはすでに白黒ではなく総天然色ですが、薄くらい夜、ロボット怪獣"モゲラ”さん(50m)による富士山麓の町襲撃、そして防衛隊との対決シーンは、是非大画面で観てみたい!と思っちゃいます。


地球侵略を狙うミステリアンに操作されているモグラそっくりのロボット怪獣"モゲラ”さん、まあ尺の都合もありますし、結構あっさりと防衛隊に倒されちゃいます。
でもそのユーモラスな見た目とは裏腹に、周囲を焼き払いながら無機質にゆっくりと迫ってくるその様に、僕はちょっと"怖い”とも思っちゃいました。


で、その後、富士山麓に基地を構えたミステリアンの科学力に日本の防衛隊ではとても歯が立たず、そのため世界各国の英知をあつめた「地球防衛軍」が結成され、人類の命運を賭けた決戦へとなだれ込むわけです。

その「地球防衛軍」の対ミステリアン兵器開発の異様なスピードの速さだのアレだのソレだの、醒めた目で観れば突っ込み所は満載ですが、僕は最初から昭和30年代のScience Fictionに騙される気満々なので無問題。

ただなんとなく、この作品に限らず今まで観てきた作品に共通して感じることですが、作品の密度が後半になるにつれ薄くなっちゃう気もします。
もちろん物語としてはクライマックスに向けて盛り上がるのですが、それとは別になんとなく作品が"緩む"気がします。

あの~、何気に当時は製作予算や撮影日数の点で無理が出てきてたりもしたんですかね。
こう最初から順繰りに撮っていたら、「おや?」みたいな。


しかし昭和32年12月28日当時、人類は異性人の侵略にたいして(怪獣にも)あくまで自分等だけで対決しようとしています。ウルトラマンとかお呼びでないみたいです。
もちろんアチラにはスーパーマンだの何だのいらっしゃったんでしょうが、日本人が自らとは異質なモノによる侵攻に対して、これまた自らとは異質なモノの力に依存するようになったのはやっぱりウルトラマンさんからですかね。

ん~それとも昭和39年12月20日の宇宙怪獣キングギドラさん日本御来訪時に、その歓待をゴジラさんモスラさんラドンさんのお三方に丸投げしたのが日本人の自らとは異質なモノ依存体質の萌芽かな。
いや待て!それなら昭和37年8月11日、ゴジラさんとコングさんが揃って日本にお立ち寄りになったさいに”離間の計”を使い、ご両者を仲たがいさせて共倒れにさせてしまえ!という日本人の卑劣な陰謀にすでに精神の堕落の端緒はあったのではないか!?

なるほど!これは坂口安吾さんの「堕落論」を今こそ読み直せ!つうことだな。

http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42620_21407.html




Ⅱ:パリは燃えているか

今は昔、大昔、韓国から日本の大学院に留学してきた方とちょっとだけ話す機会がありました。
 
(注:当時、主に学生相手の不動産屋でバイトしてて、そこに部屋を探しにきた方です。一緒に都内をまわりました。そのときの話題です・2013/11/17) 
 
話は何とはなしに徴兵の話に。
入隊したら最初に言われるんですってね「もし北と交戦状態に入ったらン十分でソウルは火の海だ。お前等はそこで死ぬ」って。
あと、確か学校で軍事教練みたいなこともやってるって言われてなかったかな?
そういう時間(授業?)もあると。
「日本の学校でもやってますよね?」て聞かれた記憶があるから。←人と人、あくまで友好的ではありましたが、これも文化パラダイムの衝突の軽い発露ですかね? 


で、今は昔、これは少し昔、ものすごくパソコンに詳しい韓国の方がいました。
 
(注:別のトコですが、これもバイト先です・2013/11/17) 
 
「凄いッスね。何処でそんな知識を?大学ですか?」と聞くと「軍隊だ」と。
「へ~そんなに詳しくなるんだったら軍隊も悪くないですね」

そう言うと物凄い勢いで否定されました。

「だって詳しくならないとコレなんですよ!!」
と、殴る蹴るのジェスチャー・・・笑いながらではありますが。

もちろんドコも燃えるべきではない。
パリだろうが東京だろうがニューヨークだろうが平壌だろうがソウルだろうが、燃えるべきではない。

ほんとうは”べき”とかつかうべきではないのかもしれないけれど燃えるべきではない。





Ⅲ:艦観

えっと海上自衛隊の艦観式つうんですか?首相が来るの。

あれのリハーサルですかね、一般人が見学できるやつに誘われてお邪魔した(護衛艦にのったのかな?よくおぼえてません)ことがあります。
 
(注:これはこれを書いた当時としても大昔、その頃友達の父が何かチケット?のようなものを持ってて、あるからいくかい?みたいなノリでした。確か、おぼろげな記憶ですが、本番ではあのヘリコプターには橋本首相が、みたいな頃ではなかったかと・2013/11/17) 

ま、もうおぼろげな記憶ですが、子供の頃、米軍の艦艇も含めて何度か”軍艦”の中には見学者として入ったことはあるんですが。

んで、その(たぶん)艦観式のリハーサル。
戦闘機だったり、潜水艦だったり、そこでいろいろな出し物(という言い方は失礼ですな。僕の高校の頃の友人も含めた、日々の厳しい訓練を欠かさない、ほぼ総ての海上自衛隊員に)がありました。
これまたなんとなく子供の頃を思い出しました。

そんな中、たぶん逐次回頭(日本海海戦で連合艦隊がやったやつ)だと思うんだけど、一列にならんだ艦隊がグワ~と回りはじめて・・・

その時は素直に「凄げ~おもしれ~」と思ってしまいました。
ええ、一見さんにはマジで一大スペクタクルです。

失礼な書き方ですが。




Ⅳ:距離

韓国の首都ソウルから60kmほど北上すれば38度線に到達と。

東京駅基点で考えると、北上して埼玉県の行田あたり?熊谷には到達しないか?
ま、だいたいそんくらいのトコに未だ休戦中の敵対国家が地続きで存在しているわけですな。

意識、無意識、どちらにしろ韓国の人達の頭の上には精神的にどえらい重しがのっかってるんだと思います。
やっぱりそこはどの国とも海を挟んだ僕ら日本人には感覚としてわかりずらい所だったりするのではないでしょうか?

だって外国=海外。「オーバーシー」ですもん。

といっても、そんな事情なんか軽く無効にする情報通信、交通事情にくわえて軍事技術も現代は大発達しちゃってるわけではありますが。と無知が適当に書いてますが。

ちなみに目分量で60kmがどれくらいか(北上にこだわらず)というと・・・

札幌からは滝川手前
仙台からは登米を越えたくらい
長野からは関川こえて日本海ってとこ
名古屋からは郡上へ
大阪からは姫路手前の高砂あたり
神戸からは京都に着くくらい
奈良からは津を越えて伊勢湾に出たあたり
高知からは観音寺には届かないあたり
博多からは北九州くらい
鹿児島からは出水くらい

ですかね?

地続きのそんな距離に、いまだに軍事境界線(たまに小競り合い)があると思ったら、やっぱキツイですよね。
だから、韓国内に「北との対決より融和を」って人達がいるのは僕個人的にはわからんでもないです。

韓国内にたぶん多数いるであろう北の工作員の人等の頑張りは差し引いてもね。と、またもや無知が適当に書いてますが。


と僕が書いたのは20091117
で、今。

う~ん。
 
(注:この文章をまとめたのが2010/12/20。たしか当時、大局としては小競り合いというレベルだとはおもうのですが、南北の軍事衝突の危機があったような・2013/11/17)




Ⅴ:観光

北朝鮮の平壌にいったことある人に話聞いたら、やっぱりなかなかどうしてみたいですね。アレだったりコレだったり。ちょっと聞いただけでもあらゆる意味で「大変」だなと思える話でした。
 
(注:同上ですが、別の方です・2013/11/17)

でもこの方は在日韓国人の方なんですが、仰るには北朝鮮に”観光”に行くこと自体はそんなに難しい話ではないと。
で、韓国生まれの韓国人の方に「北朝鮮に行きたいですか?」と(無遠慮・不躾に)聞くと「行けない。無理」と。

韓国の方はそもそも”観光”で平壌にはいけないんでしたか?いわゆる在日韓国人の方にだけ許されているんでしたか?軍務経験の有無も関係あるのでしょうか?僕はまったく無知でございます。
でもこの方が韓国籍であることはまちがいないんです。この方の北に対する思いを聞いたのははっきりとおぼえているから。




Ⅵ:ボケ

ほ~内外タイムス社、11月30日付けで東京地裁へ自己破産を申請ですか。

いえね、今(20091203)、麻生幾さんの「消されかけたファイル"金大中拉致事件の陰の主役・元自衛隊諜報部員"」を読んでいるんですけどね、内外タイムスの記者の方が出てきましてね。
石川明保さん、当時大統領選にも出馬し、若き韓国野党のリーダーとして注目を集めていた金大中さんへの初めての独占インタビューをした方です。

石川さん、その金氏が日本に来ているとの情報を得、もう一度会ってインタビューをしたいと思うもその所在がどうしてもつかめません。なぜなら金氏は大統領選を闘った朴大統領配下(と言ってしまいます)のKCIAに”文字どおり”命を狙われており、容易にその所在を明かすわけにはいかなかったからです。←たぶん日本のそのての方たちは当たり前に掴んでいたんですよね

その時、石川さんにある考えが浮かびます。敵の敵は味方。朝鮮総連(当時は完全に北の支援団体ですかね)の幹部に金氏との接触の仲介を願い出たのです。結果は...成功。ある電話番号を教えてもらい、石川さんは金氏への二回目のインタビューを行なうことになります。

さて麻生さんもさらりとその疑問を書かれてますが、北の朝鮮労働党直轄の支援団体幹部が何故、本国韓国の諜報員もその所在を掴めない韓国野党の若きリーダへとつながる電話番号を知っていたのか?謎ですね。

しかし当時の韓国朴政権は強力な反共政策を取っており、それはもう恐怖政治といってもいいレベル(みたいです)で、平和的な南北統一の理想を掲げ、それにより現実に命を狙われている金氏が(その関係の深度は僕にはまったくわかりませんが)北の機関と接触すること自体は、僕個人としては政治家として別段不思議ではないしありうることだと思います。←それに金氏はクリスチャンではありませんでしたか?
 
(注:共産主義者ではないだろうと。そう言う意図でクリスチャンと書きました。共産主義は無神論ですよね?違いましたっけ?・2013/11/17) 

 
そして朴政権ですが、その評価にはやはり当時の冷たく沸騰した国際状況なども考えてやらねばならず、一概に”悪”と決め付けることは僕にはできず、すべては大きな時代のうねりの中に巻き込まれた人たちの悲しい所作で・・・

と、のん気に言えるのは僕が「平和ボケ」の日本人だからでしょうね。
やっぱり「平和ボケ」万歳ですね。永遠に日本人が「平和ボケ」でいられますように。

この「平和ボケ」を手に入れるためにどれだけの血が流されたのか?
もちろんこれは日本人に限らない。
そして、今この瞬間、もしかしたら世界のどこかで罪無き人の血が涙が流されているおかげで僕達は「平和ボケ」でいられるのかもしれない。
噛みしめるべきだと思います。

ええ、もちろん、いつものように、適当です。





Ⅶ:歴史

北朝鮮でどうなのかは知りませんが、韓国ではつい最近まで「同姓」で祖先の出身地が同じ「本貫」の男女は結婚できない「同姓同本不婚」という制度があったと思います。←制度は廃止されても意識の上ではまだまだ残っているみたいですが

やっぱり儒教の影響でしょうか?
この「本貫」というものは非常に強い拘束力を持っているように、皮膚感覚ではなく本などで仕入れた”知識”として感じます。

で、先頃亡くなられた金大中さんと金正日さんは「本貫」が同じ"金"なんですってね。

「つうことは2000年に平壌で金大中さんと金正日さんの南北首脳会談が実現したのは、その同姓同本ってことも関係してるの?」

と、そのことを僕に教えてくれた、これまた同じ「本貫」の"金"の、中国の朝鮮族の金(きん)さんに聞いてみたら「関係ないよ」とのことでした。
そりゃそうですよね。果たして同姓同本の"金"さんは何人いるのか?って話ですもん。結婚はできませんでしたが。
 
(注:また違うバイト先です。というか基本的に派遣先の会社の方ですね・2013/11/17)


しかし僕が知り合っただけでも、韓国生まれの韓国人、日本生まれの韓国人、中国の朝鮮族。

他にも北の人や、そうそう中ソの関係が悪化していたとき、同民族がアチラにもいるということで、内通や諜報活動を恐れたスターリンさんによって、ソ連邦内部の朝鮮族の人達が、自らの土地を追われ、中央アジアに強制的に移住させられたという話がありませんでしたか?
スターリンさんによってかどうかは定かではないけど強制的に移住させられたという事実はありませんでしたか?
うん、これはかなりぼんやりです。

でも、もとは仲良く暮らしていたろう一つの民族。
半島や回廊の民に歴史は。




Ⅷ:おもう

今は昔、少し昔、韓国の方と二人で何とはなしに”統一”について(軽い感じで)話していて、僕が流れで『でも結局は南が北を、北に住む人々を飲み込むことになってしまわないように気をつけないと』のような趣旨のことを言ったのですが、その時”ある言葉”を考えなしに使ってしまい、その瞬間「しまった」と。

その方は本当に、これは心から言いますが、本当に素晴らしい人格の人で、尊敬できる人で、僕がその”ある言葉”を発した瞬間、サッと、顔色が、でも流してくれましたが、何事もなかったかのように流してくれましたが、もちろん僕は”ある言葉”を韓国と日本の関係に結び付けて使ってしまったわけではなく、それどころかその関係に結びつくことも一切気づかず使ってしまい、でも流してくれましたが。

もちろん異なる文化パラダイムの衝突という危機を経てもいい、経るべきだとは思いますが、それは同時に、互いが互いの、どちらか一方がではなく互いが、その異なる文化パラダイムを理解しようという努力があってのものですよね。絶対。

互いが互いの立ち位置を思いやるというのは別に”逃げ”ではない。と僕は思います。
 


・・・・・・・・・
 
 

31.(注:↓の文章はまとめた当時のもの・2013/11/18)
 
 
そーいえば「もし北と交戦状態に入ったらン十分でソウルは火の海だ。お前等はそこで死ぬ」って話の続き「お前らが戦って死んで時間かせぎをしている間に態勢を整えて反撃を開始する」みたいな感じじゃなかったかな?どうだったかな?うん、前半は記憶はっきりしてるけど、後半は例によってあいまいぼんやり話七分の一で 
 


いうわけで




Ⅰ:神

九州島民しかこの言葉の感覚はわからないかもしれませんが、切支丹の人が書いた文章の中に天使・エンジェルのことを”よか人”って訳したモンがあるんですってね。

んで、これまた記憶たよりで書きますが、確か「以後よく広まるキリスト教」1549年のキリスト教日本伝来時に、宣教師の人達が自分らの唯一絶対の神”ゴッド”のことを日本人に説明するのに、最初”大日如来”って訳を使っていたら、僕らのご先祖さまに「なんだ、仏教の新たな一派が海を渡ってきたのか(~宗みたいな)」と勘違いされて困ったって話もあった気がします。

唯一絶対の神→大日如来
このへんの錯誤は、違う文化体系が交じり合う時の、最初の翻訳の難しさ、宿命でしょうかね。

と思ったら、マレーシアでキリスト教の聖書をアラビア語(か?)に翻訳するとき、「ゴッド」を「アラー」と訳していたら、「アラーはイスラム教徒のみが使える言葉だ」として翻訳した聖書が没収されたって話がありました(20091130)。
で、キリスト教会側は「広く使用されている言葉だ」と反発していると。

宣教師の人達が始めて日本に来たとき「ゴッド」を「大日如来」と訳したっつうのは当たり前の発想だったのかな?


ん~でもこれはやっぱり別の話ですかね。
「アラー」「ゴッド」「ヤハベ」と「大日如来」

ん~でもこれこそまさに「古代ギリシアの思想を持ち込んでくると、実にはっきりと解明されるところが東洋思想には多々あるんです」「歴史的に影響があったかなかったかには全然関係なく、思想構造的に必然的な相互照明の問題なんです」「たとえば、真言密教の金剛界マンダラの成身会の『不生無礙常瑜伽』的存在地平の構造なんか、プラトンのイデア哲学やピタゴラスの世界像などを持ってくることによって初めてその独自の構造的整合性の成立が哲学的に可能になる、と私は思います」な気もしますな。

つうか、だから「(日本の)大日如来」の中にそもそも「古代ギリシアの思想」まじりの「ゴッド」が遣隋使船か遣唐使船かで万葉のか天平のかはたまた別のかの日本へドンブラコと。



ドミニコ会員ラス・カサス神父が、スペイン国王カルロス1世に新大陸でのスペイン人のインディオに対する残虐極まりない行動を報告した「インディアスの破壊に関する簡潔な報告」を書いたのは1542年。
「以後予算かかる鉄砲伝来」1543年の一年前。

僕は当時の日本人(特に支配者層)が徐々にキリストに対する警戒を強めていったのもわからんでもないです。

もしかしたらその裏には、日本貿易を独占しようと「あいつらはヤバイ。排除したほうがいい。」とあらぬことまで当時の日本のお偉いさん連中に囁いた、何処ぞの国かの冒険商人がいたのかもしれんけど。←思いつきです





Ⅱ:キュン

袋小路は好きですか?

僕は好きです。
ワクワクします。

え~

「そんなことでそんなに怒るなよ、大人気ない」と言ってる人が
「そんなことでそんなに怒るなよ、大人気ない」と言われるコトはわりとある話で

「え、あの女(男)のどこがいいの!?」と言ってる人が
「え、あの女(男)のどこがいいの!?」と言われるコトはわりとある話で

「あれ面白くね?」つう問いに「いや全然」と言ってる人が
「あれ面白くね?」つう問いに「いや全然」と言われるコトはわりとある話で

こういう、人それぞれの喜怒哀楽の"ツボ"って何時できんでしょうね?
生まれつき?
人生の積み重ねの間に?

まあ、それこそDNAあたりに書き込まれてんじゃないんか?とも思ってしまいますが。
ちょっと誰か『恋と愛とリビドーの違いについて90字以内で述べなさい(句読点は一字と含む)』です。←当然、僕は答えなんか知りませんよ

でもこれはわりと安易に優生学的なものにたどり着きやすい発想ですかね。

(注:優生学てどんなんだっけ?と今おもいました・2013/11/18)




Ⅲ:思い出

思い出した。

昔。中学生の頃かな?何か普段の生活調査みたいなんに学校で記入させられて。
その内容がどんなんだったかは正直あんま覚えてません。んが、その中に「あなたの仲がいい友達を書きなさい」みたいな項目があったのは覚えてます。

んで、まあ、『友達は○○くん、○○くん・・・』と書いていくんですね。
んで、ひとり、仲はいいんだけど僕がそこに名前を書かなかった人がいるんです。

それは別にホントはそいつのコトが嫌いだから、とかではないんです。
彼は(今でも子供っぽい)僕とは違い、当時の僕にはなんか凄く大人な感じがして、僕とは無縁な世界のことも沢山知っていそうで、僕が”友達”として名前を書くのは失礼だよな、向こうは僕ととりたてて仲がいいとは思ってないよな、など思って名前を書かなかったんです。まあ劣等感ですかね。

んで、「みんな書いたか~集めるぞ~」となり、僕が集める係りだったのかな?なんかのはずみでその彼の用紙を見ちゃったんです。

んで、書いてありました、わりと最初のほうに「○○くん」と僕の名前。

つ~かさ~、ま、もしかしたら必要なもんなのかもしれんけどさ~そんなもん気軽に書かせんなよ。
何?その用紙、教師とか見るんでしょ?
「なるほどAはBを友達と思ってるが、BはAを友達とは思ってないんだな。上辺は仲良さそうなのに。いや~子供の世界にもいろいろ人間模様があるね~」とか職員室で番茶でもすすりながら感慨にふけんのか?
も~その後しばらく彼に対する劣等感に罪悪感がプラスされてしまったではないか。

みたいなことを思ってたと思い出しました。




Ⅳ:友達

しかも、では僕がホイホイ名前を書いた”友達”とは何なんだ?内心低く見てんのか?そんなことはないぞ!!
”友達”とは何なんだ?

みたいなことも思ってたと思い出しました。
子供の頃の話です。




Ⅴ:色

そういえば子供の頃、4メートルとまではいかなくても、3メートルちかい高さのとこから下の道路の側溝に落っこちたことがあったなぁ。

それは親や近所の人らとの元旦の初詣の帰りで、無駄にテンションが高くなってた時で。
んで、僕がその場で考えついた「目をつぶってしばらく歩くと、次に目ば開けたときに風景が変わってて凄かばい」という別に今とならんでも何が面白いんだか全くわからない遊びに一人で熱中していたら、山裾を削って道を作った名残だかなんだかの下の道路の側溝に落っこちたんだ。

ま、いきなり崖の方にフラフラと泥酔者のように千鳥足で向かっていき、そのまま迷うことなく下に落っこちた我が子を目撃した親もビックリだったでしょうが、いきなりあるはずの道がなくなった僕もビックリです。つうかもう親やご近所さんに無様な姿を見せてしまったことに対する恥ずかしさでいっぱいです。これは挽回せねば。
でも慌てて駆け寄ってきた親に向かって元気に立ち上がり「何でもなかよ」と言うものの、無茶苦茶親の顔が青ざめています。

「ほんとに何でもなかよ!大丈夫たい!」

いや本当に何でもないんです。何処もまったく痛くない。何をそんなに・・・
もしかしてこれは怒る前触れか?やばか!
↑のごたん遊びばしとったことのバレたら・・・

すると首筋に水が滴る感覚が。何だ?と手で触ってみたら「あっ、血だ」
もう手のひらが血でぐっちょり。

その時、僕は初詣帰りの道すがら買ったハンバーガーの袋を持っていたんですが、どうやら落っこちた時、咄嗟に両手でそれを抱え込んで守り、んでもって道路の側溝のフチで後頭部を強打!したみたいなんです。

でも、やっぱりまったく痛くないんです。だから血をみてもあんまり実感がわきません。ただただ恥ずかしく、物凄く慌ててる親に向かって「大丈夫たい。大丈夫たい」を繰り返すのみで。

そうこうしていると、不思議なことに親や周りの人の声がだんだん遠くなっていって、そんでこれだけはもう今でもはっきり覚えているんですが、世界が徐々に色を無くして、そして最後は真っ黒になって。


その後、戦争の体験談で、敵に撃たれた直後はまったく痛くなかった、みたいな話を何度か読みました。
何となくわかる気がします。そして、それは今でも僕に「死」というものに対する感覚としての不幸な勘違いをさせているかもしれません。


は、おいといて、もう一個だけはっきり憶えていることがあります。
「救急病院」でいいのかな?元日だから確か普通の病院はやってないかなんかで、ちょっと離れたその病院へ車で行き、治療を済ませた後、家に帰ってきてから僕が命がけで守ったグチャっと潰れたハンバーガーを食べました。

色を再び取り戻した世界で食べたハンバーガーは、潰れてるうえにもう冷え切っていたけど、非常に美味しゅうございました。



Ⅵ:さて明日は髪きりましょかね。

ではお風呂はいろ。



・・・・・・・・・



32.明日は寒そう(注:当時・2013/11/20)
 



いうわけで



Ⅰ:初

今日は雨ですか?
しかし気づけば9月も15日。
今年(2009)もあと3ヶ月半ですか。

高尾山で寒さに震えながら初日の出を見たのはもうそんな前か・・・
ほんと光陰は僕の携帯のバッテリーみたいです。



そういえば「初日の出」。
高尾山山頂での太陽くん出てきた瞬間の盛り上がりはそりゃもうすごいモンですよ。
湧き上がる歓声!光るフラッシュ!とりまくる写メ!唸る法螺貝!←ほんとに
もう大スターの登場ですよ。
カリスマ降臨ですよ(昇っとるけど)。

で、それから40分後。

下山中、昇りきった太陽くんには誰も見向きもしない。
大スターの座、転がり落ちるの早すぎ。
あの熱狂は何処へやら...
まあ昇る太陽に「初」って字が浮かんでるわけでもないですしね。

げに恐ろしきは人気商売かな。




Ⅱ:登

今日(20091005)街中で初詣のポスターを見かけました。

もうそんな時期か・・・ちょっと早くないかい?
ん、こんなもんか?

さて今年も晴れてりゃやっぱり初日の出は高尾山かな。
でも、いいかげん僕も山登りの時間は学習しないといけませんな。
あと山登りの格好と。
あと山登りのペースと。

いえね、ここんとこ元日は土方歳三さんの菩提寺でもある高幡不動で零時を迎え、それから高尾山にむかうんだけど、何時もこの時間が早すぎる。山登り自体も、真夜中に何をそこまでというくらい猛烈な勢いでのぼり、大汗をかき、速攻で頂上到着。

んで、ここからが大変。

下手をすれば午前3時前に標高599メートルの山頂についてしまう。
都心の夜に調度いいくらいの格好で。
しかも下着は汗でビチャビチャ。

いや~元日の朝?から遭難しそうです。

一度寒さに耐えられず、午前3時くらいに登って、午前4時すぎくらいに下山したことありました。
元日の深夜から「単なる」山登りってなんて健康的。

はい。僕のせっかちすぎる性格とどうしようもないアホさがすべての元凶です。
付き合ってくれる人(♂)には非常に感謝しております。

今年ももし登るのなら今年こそはちゃんと計画性を持って。
一年の計は元旦にあり!!
ノーモア無計画!!

ま、無理だろうな。

だって僕だもん。




Ⅲ:てね

そういえば、極めて個人的見解ですが。
高尾山山頂で初日の出が昇る瞬間、皆一斉に携帯の写メの小さな画面みるけど、せっかくキツイ思いして山登って、寒い思いして待ったんだから、じっくり自分のマナコで太陽出てくる瞬間見てもいいんじゃないのかなぁともチョッと思います。

「とれた?」「うわ!よくわかんね」もいいけれど
思い出はプライスレスでは?

なんてね。




Ⅳ:自己中

きてしまいました。今日(20091204)、ついに計画の抜本的な見直しを求められました。

いえね、僕はここ何年か天気が晴れていれば高幡不動で年明けを迎え、高尾山頂(付近)で初日の出を拝んできたんですよ。

もうね、吐く息も凍りそうな、シンとした寒さを纏った闇を切り裂くように昇ってくる御来光を全身に浴びるなんて、まったくもって正月早々ありがたい話ではないですか。

それをね考えなおせって言うんですよ。

なんだよぅ。そりゃね、ちょっと僕は自己中かもしれませんよ。高幡不動で御参りをすませた後、速攻高尾山へ移動、「真夜中に何をそこまでというくらい猛烈な勢いでのぼり、大汗をかき、午前3時前に標高599メートルの山頂についてしま」いますよ。
んで、高尾山頂での元日の日の出は大体午前7時前くらい。
下手をすりゃ、汗でビチョビチョの下着のまま、これといってすることもなく、4時間以上高尾山のてっぺんで震えていることにもなりますよ。
確かに僕が言い出した高尾登山で、僕が寒さに耐えられずに「午前3時くらいに登って、(懇願して)午前4時すぎくらいに下山したこともありました」よ。
ああ、元日の深夜から単なる山登りをしたってわけさ!!
でもしょうがないじゃないか。だって「遭難する」って思ったんだもん。

なんだよぅ。そりゃね、かなり僕は自己中かもしれませんよ。

という訳で、代替案として深夜の八王子城址公園行きを提案したところ速攻却下されました。




Ⅴ:雪

というわけで、本日(20091231)登って参りました、関東の雄北条氏の八王子城。
今まではまがりなりにも「初日の出を見る為」とか、一応の目的があっての元旦登山でしたが、とうとう登ること自体に意義がある大晦日登山行になりました。←昼間ね

いや~戦国最後の山城ともいわれる(て本に書いてありました)八王子城の標高はさほどのことはないんですが、僕達が登った旧道は大して整備もされておらず傾斜も急で、登り始めてすぐに雪が舞い始めた(僕の初雪!)こともあり、高所恐怖症かつへタレの僕にはなかなかスリリングな一時でした。

でも都心も雪ふったんですかね?
いえね見晴らしいいトコで関東平野を一望したら結構いい天気なのに八王子城の上だけ妙に暗雲が立ち込めているんだもん。

で、山頂間際の八王子神社でお参りをし、もう少し足を伸ばして山頂の本丸跡に到達。←非常に狭いです
そこでしばし兵どもが夢の跡に想いを馳せた後、下山へ。
下りはある程度整備された新道をチョイスしたので、スムーズに出発点である登山コース入り口に戻ってくることができました。

んで、そこから横移動でちょっと奥まったトコにある城主の館"御主殿跡"や"御主殿の滝"などを一通りみて、「そろそろ帰るか」となった時に、登山コース入り口にある『八王子城址公園地図』で"御主殿跡"の上の山腹に当時の石垣群がむき出しで残っているのを発見。

「じゃあ、その石垣だけ見て帰るか」と今度は"御主殿跡"からその石垣を目指して登りはじめると、この道が先の旧道なんかまったく目じゃない獣道で、さらに結局石垣を見ても「もうちょっとだけ上に登ってみるか」となり。←何故ならそこに(獣)道があるからさ

気づけば僕らは登りすぎで、振り返るとその道の細さ・急さ・高さは僕からその道を引き返す気を失せさせ、「あの~もうしわけないが、俺怖くてここ下れない」となり、何とかもうちょっとマシな道に合流するまでと登り続けた結果、本日二度目の八王子神社参拝と本丸跡での記念撮影となりました。

ま、二回目の下山のときには八王子城上空の暗雲も何処かへ消え去り、暖かい日差しが僕等を包んでくれたから別にいいんだけどね。



で、短時間に二回も登ってしまったので、どうせならといろいろ見まくりました。
山頂の本丸のすぐ隣に同じように突き出てる小宮曲輪(本丸よりは広い)が豊臣秀吉配下の上杉景勝の軍勢に奇襲され攻略されたのが、八王子城落城の切っ掛けとなったとも言われているらしいですが、よく急峻な山の天辺を奇襲できたな。
尾根道は裏っ側(登山口からみて)にありそうだったけど。
守る方も人手不足だったのかな。






Ⅵ:人の目は前向きについています

↑なんだったかな?これ子供の頃ロボットアニメで聞いたセリフなんだよな。
自分たちが乗るロボットの後ろ側があまりにも無防備で、んで敵に後をとられて「このロボット後に何の武器もないじゃないか」みたいなこといったら「そりゃ目が前向きについている人間が操縦しているからな」て。


さて元旦。
昨日、山中や山頂で出くわす神社や祠や石仏などを拝み倒したので、元日の今日、いまいち初詣に行く気がしません。
つうか一応近所の神社に行ってはみたんですが、参拝の行列が50メートルくらい出来ていたので思わず回れ右してしまいました。
まあ僕の中ルールで今年中に詣でればそりゃ初詣なので問題ないでしょう。

は、さておき、八王子城の落城模様をちょっとネットで調べてみましたが、やっぱり城郭の曲輪(くるわ・本丸、二の丸とかそんな感じの)間の距離や高低差など位置関係が自分の体で理解できていると話がスムーズに頭に入ってきますね。

んで、八王子城は落城前に城主をはじめその兵力のほとんどが豊臣軍の主力に包囲された小田原城に援軍として篭っていて、自身が上杉・前田・真田の連合軍一万五千に攻められたときは付近の領民も含めて千人前後(推定)の兵力しか残っていなかったと。

え~八王子城はざっくり言って関東平野を西に向かって最初に山塊にぶつかったトコに築城された山城ですが、素人目でみると平野方向にむかってその防御網が構築されてるような気がして、裏の山々から尾根道伝いに攻められたらやばいんじゃないかい?と思ってしまいます。

ほぼ山頂の、戦線としては後衛といっていい小宮曲輪が上杉軍の奇襲で落ちたのはやっぱりソコをつかれたみたいです。
もちろんンなことは当時の城方の人もよくわかっていたんでしょうし、防御網の構築的に何の対策もとっていなかったってのは考えられないので、やっぱり圧倒的兵力差から敵主力正面に多くの兵を割かざるをえず、後衛はどうしようもないくらい人がいなかったんですかね?

小宮曲輪の裏の間道にも監視の兵をそれなりに配置していたら少なくとも奇襲は避けられた気もしますし。
もちろん素人考えです。攻城開始時の早朝は、まったく視界が利かないくらい霧が深かったらしいです。
たぶん特に山頂付近はそうだったのでしょう。

まあ圧倒的な兵力差があるんだから、奇襲を前もって察知しようがどうしようが、どちらにしろ落城は時間の問題だったんでしょうが、やっぱり山の中腹の曲輪で登ってくる敵兵を防ごうと必死に頑張っているところに、その後っ側の山頂に敵兵が出現したらやっぱり凹みますよね。

いえね、その中腹に金子三郎左衛門家重さんつう人が守備を担当していた金子丸(通称かな?)つう曲輪があるんですけどね、ここは尾根を何段ものひな壇状に造成した軽い要塞化の跡が今でも素人にも一目でわかるカタチで残っているんですが、やっぱりその防御の方向性はあくまでも当たり前に下なんですよね。

上から攻めてこられたらそりゃたまらんよな。←実際に落城時に金子丸が上下挟撃(きょうげき・はさみうち)されたかどうかは知らんです



Ⅶ:あ

「移民の歌」のリフをギターで弾こうとして、んで失敗した結果、名曲「マイシャローナ」が誕生したと思ってしまったことがあるのは僕だけですか?



・・・・・・・・・



33.寝言は寝て言え
 
 


いうわけで



Ⅰ:離脱

僕は昔、幽体離脱をしたことがあります。

と、常々言い張ってるんですけどね。
まあ「どうせ夢だろ?」と言われたら「そうかもね」と答えるくらいのモンなんですけどね。

でですね、昔々、まだまだ女性の眉毛が太かった頃、二十歳前後の頃の話なんですけどね。
僕は夜、というか寝てる時、頻繁に金縛りにあっていたんです。
その金縛りにあってる間は、もうホントに目は醒めてるのに体は全く「動けん」つう感じでした。

ちなみに僕は金縛りになる理由としては例の説に同意します。それは体が疲れすぎていて、眠りから醒めた時に脳はちゃんと目醒めていても、まだ体は疲れていて眠ったままの状態にあるために金縛りが起こるというヤツです。(あるよね?)

で、ある夜、遊びつかれでもしてたんですかね、どうですかね(当時から、つうか今よりもよっぽど、僕はよう歩いておりました)Gジャンを着たままいつの間にか寝てしまい、どれくらい寝たんだろう、目が覚めた時、まだ窓の外は真っ暗でした。

とりあえず水でも飲もうと体を起こそうとしたら全く体が動きません。頭すら動きません。目は真っ暗な窓の外に固定です。
「ああ、また金縛りか」
我ながらもう慣れたもの、別段慌てたりはしません。
なぜならほっとけばまた知らないうちに眠りに落ちて、再び起きた時には金縛りはもう解けているからです。

でもなぜかその時は起き上がろうと妙に頑張ってしまいました。
「イチ、ニ、サン!」「イチ、ニ、サン!」
と何回か頭の中で掛け声をかけながらグッと力を入れて(つもり)起き上がろうとしました。
もちろん体はピクリともしませんでした。

それでも懲りずに「イチ、ニ、サン!」とやってたら、ある瞬間いきなりフワッと体が起き上がったんです。
「やった!自分で金縛りを解いた!」と嬉しくなりましたが何か変です。何が変かはよく分かりませんが何か変なんです。

それでふとベッドの方を見たら、Gジャンを着たまま横になってる僕がいたんです。


と、常々言い張ってるんですけどね。




Ⅱ:風景の発見

風景の発見、です。
柄谷行人さんの「日本近代文学の起源」の中の『Ⅰ風景の発見』のことではありません。
まんま"風景"の発見です。

前にもちょろっと書いたんですけど、いろんな方のブログを読ませていただくようになり、たくさんの風景写真をみさせていただくようになった影響でしょうか、街中を歩いていると花や木、雑草などに目を向けることが多くなりました。
一度目を向けると、世界はその表情を一変させます。東京都内でも、あまりにも豊かな多くの植物達の息づかいに満ちていることに気づきます。

で、同時にそのほとんどの名前がわからない自分にも気づきます。
名前がわからないのはなぜか?それらには名前がないのか?

そんな訳はありません。

だって僕が現在存在しているのは、アマゾンの奥地でもアフリカの高地でもコナン・ドイルの「失われた世界」の舞台でもなく、平成二十一年の日本国東京都区内ですからね(20091026)。そうそう人類未知の動植物にぶち当たるわけがありません。
人間がつけた名前はあります。

ではなぜ、僕にはわからない?

で、思います。
僕にはそれらの名前をわかれるはずはなかったのだ。
何故なら今までの僕の世界にはそれらはなかったのだから。
物質世界ではなく、僕の精神世界において確かにそれらはなかったのだから。
ないモノをわかれる道理はないのだ。

だから、それらほとんどの名前がわからない自分に気づいた時、わからない自分を発見した時、僕は初めてこの世界の風景を発見したのだ。
そして、この世界も僕を発見したのだ。
僕はスタート地点に立ったばかりなのだ。世界をわかるのはこれからなのだ。


ん?

駄目か?

この流れでは話がずれるか?

落ちるか?

とりあえず「そして、この世界も僕を発見したのだ」はいらんな。





Ⅲ:フワフワの獲得

風景の発見。

で、今回はそこからまたフワフワっと話をフワフワします。

風景の発見とは言いますが、考えてみると世界は常にうつろい続け、コンマ一秒も同じ世界、同じ風景は無いわけです。
そう思う僕個人にした所で体の中での細胞分裂は絶え間なく続いてて、コンマ一秒も同じ僕はいないわけです。

そう風景はその存在の宿命としてフワフワっとしているのです。
決して僕の頭の中がフワフワっとしているわけではないのです。

風景(世界)は不完全なものなのです。

で、その不完全な風景(世界)の瞬間を切り取り、新たな命をあたえ、それを全きなるもの、永遠なるものにする魔法こそが「写真」なのです。
そこに写っているモノは風景(世界)であって、もうそれは風景(世界)ではないのです。

そうカメラのシャッターを押すたび、人は永遠の生命をもった完全なる世界の創造者になるのです!と言っては言いすぎでしょうか?


露骨に言いすぎです。



ま、風景(世界)の瞬間を切り取るということでは絵画も同じではありますが、それはまた何時の日かのフワフワで。




Ⅳ:世間の発現

ね、↑、気にしてるでしょ
ま、今も、気にしていないわけじゃないんだけどね



Ⅴ:これもね

こっちが間違い、そっちが正しいつうわけではなく、いろんな視点を獲得する努力つうもんはしといて人生無駄じゃないかもしれないっす。

もちろん「知る」と「識る」は別もんだけどね。
その人を「知」ってるってことが、必ずしも、その人を「識」ってることにはならないようなもんだ。

「知る」ことは楽勝、誰にでもできる。
でも「識る」ことは。

あいもかわらず意味不明だ。



Ⅵ:過保護

ふだんクスリはのまないんです。あらゆる意味において。一年に一回ものまないかも。

だからたまにのむと妙にきき過ぎてる気もします。
つうても、まさか他人のクスリのききっぷりを僕が己の感覚としてわかるはずもないので、もしかしたらこんなもんなのかもしれませんが、妙にきき過ぎてる気が自分的にはします。

いえね、ま、何日か前から喉はちょっと痛かったんですけどね、昨日、いや、もう今日かな、夜半から本格的に身体がだるくなり、「あ~やだやだ」と布団を頭まで引被って就寝。
んで、朝起きて、だるさはかなり改善したけど頭痛がまだするんで、市販の風邪薬を用法・用量を守って二錠服用しただけなんですけどね。

たしかに頭のキリキリは消えたけど、どうにも頭がボ~としてしまいます。

キリキリが消え、ボ~がやってくる。どっちもどっち・・・てなことはないですな。朝のままだったらかったるくて、こうして文章書く気もおこらんかったし。

ん?この場合、クスリの成分のケミカルな作用でキリキリは"消えた"のかな?それともその成分の作用で脳のどこらへんかが”消えたと錯覚”させられた状態なのかな?
やっぱり後者かな?

こう問題が根源的に解決したわけではなく、問題から目をそむけている現実逃避な状態なのかな?
そうして現実逃避をしているあいだに、身体の方で自然治癒(と言っていいんだか)の能力を発揮して勝手に治してしまうと。
おお!身体とはまるで過保護な親のようではないか!!




Ⅶ:20100401

僕の中のココんトコのココの裏テーマは「繰り返し」だったりします。←「話の飛躍」は永遠の裏テーマですよ、はい

で、やっぱり、飽きずに読める「繰り返し」を書くためにはリズムが重要ですかね。



・・・・・・・・・
 
 

34.寝言は続くよどこまでも
 
 


いうわけで




Ⅰ:2010年5月4日午後6時31分



できれば町の八百屋さんデビューも果たしたいと。

スーパーとかの食料品売り場でこう自分でカートに野菜を入れるのではなく(現実問題これもあんまりしないけど)、八百屋さんで「おじさん!その大根二本ちょうだい!あ、あとそこの玉葱も!」とか言ってみたいと。

別に今すぐにでも言えることではあるけれど、何となく怖いと。何が怖いのかは謎すぎるけど怖いと。

だから八百屋さんデビューはもちっと野菜のこと勉強してからにしようかと。

とりあえず味噌は冷蔵庫に入れなくても日の当たらないトコで保存してれば大丈夫ってことは人生の今日知った。





Ⅱ:同午後8時13分

味噌は手作りで防腐剤入ってないから冷蔵庫に入れろって。

う~ん、奥が深い。





Ⅲ:2010年5月9日午前7時39分

だ・か・ら

ご飯寝る前に忘れずにちゃんと炊けっつうとろうがって話ですよ。僕。

まあいいや。とりあえず今日もちょっと水少なめでやってみよう。
ベストの位置は感覚でおぼえんとね。

失敗したら今日の朝は鮭茶漬けで。






Ⅳ:同8時18分

はい。

鮭茶漬けおいしゅうございました。

まだ二合は残っているな。





Ⅴ:2010年5月11日午前0時0分

今日はちゃんとお米を忘れずに研いだと。

んで、水をちょい少なめに入れタイマーもセットしたと。

完璧だぞと。

ま、やっぱり同じ失敗を三度繰り返したらいかんぞと。

で、炊くの失敗してたら梅茶漬けで。

おやすみなさい。





Ⅵ:同午前7時20分

ええ

梅茶漬けは食べませんでしたよ。

鮭茶漬けでした。





Ⅶ:2010年6月7日午後11時35分

おっと

明日は東宝特撮映画DVDコレクション第19号「妖星ゴラス」(昭和37年3月21日公開)の発売日ですよ。忘れてませんよ。

ちょっと紹介文読んだら、宇宙の彼方より突如飛来した、地球に衝突しそうな妖星”ゴラス”。

人類はこの突然な地球存亡の危機を回避するために決死の”ゴラス”破壊作戦を敢行!!ではなく、何と衝突しないように地球に巨大なロケットを沢山つけて地球を動かし”ゴラス”をかわしちゃおう作戦を敢行!!

ですと。

いいですねぇ。何かかなり無茶な匂いがしてきますよ。ホント、こーゆーの好きですよ。

楽しみです。





Ⅷ:2010年6月8日午前8時10分


ねーねー

朝起きたら「木星に隕石が衝突、昨年から2年連続」て記事があった。

何か異例で「天体が衝突する確率についての理解を根本的に見直す必要がある」だって。


こりゃ、”地球に巨大なロケットを沢山つけて地球を動かし”ゴラス”をかわしちゃおう作戦”まじめに研究したほうがいいかも!!

で、今日は東宝特撮映画DVDコレクション第19号「妖星ゴラス」(昭和37年公開)の発売日ですよ。






Ⅸ:同午後9時27分

そーそー

「妖星ゴラス」

こら傑作です!
たんなる年老いた恒星であるはずのゴラス、ほんとうに妖星でした!
引き込まれました!
怖かったです!

もちっと尺短くてもいいかな?とも思いましたが。

まあ妖星ゴラスさん、グレーゴル・ザムザさんを襲ったモノと同じ性質、つうか世の不条理の具現化でしょうかね。






Ⅹ:2010年6月11日午後0時35分

そーいえば

抹茶オレって人気なの?






XI:同午後5時45分


ほら”ミスタードーナツ:人気過熱の抹茶オレ、一時販売休止に”

いや~「鬱」といい「抹茶オレ」といい、こりゃ「世界日本化計画」も来ますな。

あれですな、「起こったこと」についてアレコレ書く時代はもう終わりましたな。これからは「起こる」ことについて書く時代ですな。

↑超冗談です。これっぽっちも思っておりません。



もちろん、なんかのはずみで言った(書いた)ことがバカ当たりした(ように見えた)ら、そりゃ言いますよ「ほら、みたことか!」「俺の言ったとおりじゃないか!」って。

では。

(注:「鬱」に関しては忘れました・2013/11/22)





XII:2010年6月23日午前3時13分

寝てましたが 

さらなる寝を追及します

寝に終りはないのです

果て無き旅なのです

まだ見ぬ寝を求めて

おやすみ



・・・・・・・・・
 
 

35.袋小路はすきですか?
 
 
僕はすきです
 
わくわくします
 




いうわけで



Ⅰ:十三夜

僕は自分が散歩する場所として、ゴチャゴチャ・グチャグチャした町並みが決して嫌いではありません。つうか大好きです。
散歩好きかつ迷い好きな僕は、迷路のような狭い道幅の町並みを発見すると、ジャングルの洞窟奥深くに潜む謎の巨大オオトカゲに挑む川口探検隊のような気分で、思わずフラフラっと入っていってしまいます。

で、さらに細い路地に入り込み、あれ?行き止まり?あれ?私有地?あれ?こんなトコ通った?などを何度か繰り返した結果、念願の「あれ?ここはドコだ?」ということになります。
困ったことにそっからが楽しいんですよねぇ。日暮れ時だったりすると特に。


ところで都内にも今だ残るゴチャゴチャした町並み。ある種混沌とした町並み。
ああいった町並みってのは戦災も免れたってことなんですかね?
空襲に遭う事も無く戦前の古い区画がそのまま残っているってことなのかな?

必ずしもそうでもないか?
戦後ある程度までは車の絶対数が少なかったろうから、復興ももとの狭い道幅のままで行われた場所も多いのかな?

あ、そういえば江東区京島近辺。
このへんは関東大震災でも東京大空襲でも焼け残ったと聞きました。
だから物凄く道も狭く、古い家も多く、ゴチャゴチャしてとても素敵な町です。
けっこう古い情報ですけど、最近は(当時)その辺の長屋に外国の方や若い芸術家の方達が越してきて住まわれてるって話がありました。

でも京島からちょっと離れた錦糸町や亀戸の東京大空襲での凄惨な戦禍を思うと、あの古い町並みは不思議な感じもします。

そこに運命の線引きはあったんでしょうか?

と、何時も軽々しくわかったようなことを書く自分が嫌だったりもするんですが、だからといってこの一文を消す勇気もないんです。


あれ?今夜は十三夜ですかね。




Ⅱ:水の都

夏目漱石さんの「硝子戸の中(うち)」って随筆集のエピソードの一つに、漱石さんがお兄さんから聞いた話として、漱石さんがまだ小さいころのお姉さん達の芝居観劇行があります。

当時の芝居小屋はみんな浅草の猿若町にあったそうです。←天保の改革の時、風俗取締りのため、市内各地の芝居小屋をここに集めたとか
名主の家柄だった漱石さんの家族が住んでいたのは江戸牛込馬場下横町。←高田馬場あたり

で、お姉さん達は朝早くには猿若町の芝居小屋に到着しようと、夜中のうちに起きて装いも艶やかに着飾り出発。
もちろん物騒だということで、常に下男の人が供について行ったそうです

さて、当時は電車も車もない時代です。
漱石さんは『電車も「俥(くるま)」もない時分』と書かれています。←人力車ですよね、時間はさらに転がりました

今、地図でざっと確認しても馬場下から浅草まで直線距離で7~8キロはあります。
こちとら、イイトコの箱入りお嬢様、どうやって行くのか?

まず彼女たちは神楽坂を抜け揚場に行き。←現在の飯田橋駅のあたりですかね
そこの船宿にあつらえておいた屋根船に乗って、ゆっくりと御茶ノ水をぬけ柳橋へと漕がれて行ったそうです。←下男のお供は揚場まで


いえね、江戸の町はベネチアに負けず劣らずの水の都だったんだなぁ~て。
結構、人々の移動手段は江戸中を張り巡らせた水路を行く船だったと。

そういえば、あくまでフィクションの小説ではありますが「鬼平犯科帳」読んでるとそんな感じしますよね。

ちなみに漱石さんのお姉さんたちの観劇行。

夜半に(高田の)馬場下を出て、朝早くに浅草猿若町の芝居小屋に着き、幕間に贔屓の役者の楽屋を訪ねたりして一日を過ごし、また船に乗り大川から神田川へと漕ぎ出し、揚場まで向かえに出ていた下男と供に家に帰ってくるのはもう日を跨ぐころだったそうです。

(すでに傾きかけていたらしいですが)恵まれた家柄の人だからというエクスキューズはつくでしょうが、当時は随分ゆっくりとした時間が流れていたんですね。




Ⅲ:空

僕は子供の頃からおかしな空想癖がありましてね。

自分がいる場所やまわりの地形を見て、ここに篭城するとなるとどういう兵士の配置をすればいいか?とか延々と考えてしまうんです。
時代は三国志~戦国時代までっつう感じで。まあ1500年間くらいの幅ありますが。空間移動もなかなかですが。
あちら側は深い崖だから護りは堅いな、しかし油断はできない、あそこのトコには砦をつくって、街道を牽制しつつそちらへの配慮もさせる。問題は東側だな、なだらかな傾斜地でこれといった防御拠点になる場所がない。さてどうするか・・・みたいな。

特に学生時代、勉強についていけず、授業がもう何がなにやらわからず、しょうがないから窓の外を見つつ、延々とこんなことを考えていました。
だから僕の頭の中では学校のまわりは数々の戦いがあった激戦地です。

で、あるときその学校があるあたりには昔、本当に山城があったことを知るわけです。
まあ、わりとこういうケースはあるんですよね、(山)城跡に学校とか。
でも僕は阿呆ですからね、おお!俺の見る目は確かじゃないか!とさらに妄想に精進したわけです。




Ⅳ:ん~

九州生まれの僕だからかもしれませんが、「神田」と聞いて頭に浮ぶのはやっぱり神保町近辺。つうかそこが僕の中の「神田」、したがってJR神田駅に降り立ってもそこが「神田」だという実感はあまり湧きません。

ちなみにJR神田駅から僕の中の「神田」神保町までは直線距離で西に800メートルくらいですが、「神田」を訪れる時は大概地下鉄の神保町駅を使用するか、JRの水道橋駅からゆるゆると歩いて行きます。JR神田駅を使用することはまずありません。
そのことも僕の中でJR神田駅の存在を軽くし、そのイメージが「神田」と結びつかない要因なのかもしれません。

極端な話、僕の中では"水道橋駅の南"に「神田」のイメージが吸収されている気もします。


で、「神田」は現代の地名の神田だけでは捉え難いつうか。基本訪問者の余所者には皮膚感覚としては「神田」とは捉え難いトコもあるっつうか。ニコライ堂とかはやっぱり僕の中では「神田」つうより「御茶ノ水」だし。
もちろん、それもひっくるめて土地の人には「神田」なのかもしれないけど。
う~ん、これは「福岡」と「博多」の関係に近いのかなぁ。現代の地名を地図上で見てるだけでは永遠にわからない感覚というか。

でも、ニコライ堂は「御茶ノ水」だけど、そこから北へ聖橋を渡ってすぐの湯島聖堂のイメージは僕の中でも「神田」なんだよなぁ。
これは湯島聖堂のすぐ近くの神田明神の名前にひっぱられてなのかもしれませんが、実は僕の中では神田明神のイメージは何となく「上野」なんです。
ちなみにこれは、神田明神にはそちらから行く事が多いからではないかと。

ま、よくわかりまへんということで。


ちなみに(あくまで)僕の中でJR神田駅と「神田」の関係に近いものとしては、JR板橋駅と「板橋」があります。
新撰組局長近藤勇改め大久保大和さんが首をはねられた場所にある(といっていいでしょ?)JR板橋駅は確かに板橋ではありますが「板橋」か?と問われれば「ん~」となっちゃいます。




Ⅴ:不審者
 
まだ二十代のころ、浅草浅草寺の近くでバイトしてたころ。

深見千三郎さんやビートたけしさんがお住まいになってた浅草の「第二松倉荘」。
昼休みに一人でトボトボ歩いて訪ねていきました。
 
「浅草キッド」というたけしさんの浅草時代を書いた本にそこの住所がのってたので(新聞記事として)、たぶん、コンビニで買ったパンを食べながら、トボトボ歩いていきました。 
 
今みたいにネットが普及してる時代じゃないです。 
 
「たぶんここだろう、住所はここだし、建物のつくりが本の表現どおりだし」

で、しばらく、その前でボーとして、またトボトボ帰っていきました。




Ⅵ:あ

大滝詠一さんの「A LONG VACATION」の8,9曲目”恋するカレン”と”FUN×4”って続きものですよね。
カレンにふられた男目線の曲が”恋するカレン”
カレンとできちゃった男目線の曲が”FUN×4”

違うの?




おはよう。



・・・・・・・・・



36.痕跡
 
 


いうわけで



Ⅰ:ゴジラ


東宝特撮映画DVDコレクション、初回特価980円也か…←990円也でした
でも別に買わなくても観たけりゃレンタルでもいいんだよな…←買っちゃいました。僕のロボット、怪獣、オバケ好きは一生モンの病気です

初代ゴジラ。
ビデオで観たのは随分昔だけど、雰囲気がなんとなくB29の空襲ぽかったんですよね。
ゴジラの来襲ぶりとそれに慄く人達が。←やっぱりそう思いました

確か話の中でも「せっかく空襲を生きのびたのに、こんなんが現れて」みたいな路面電車の中かなんかでの会話がなかったかな?←電車(でしょ?)の中で「せっかく長崎の原爆を生きのびたのに」「また疎開か」みたいな会話でした

当時は、製作スタッフや役者さんのなかで、戦地だろうが内地だろうが戦争体験のない人のほうがめずらしかっただろうし。
映像の、特撮の、質云々ではない「戦時の空気」のリアリィティーがそこにはありましたな。←ありました

ま、もちろん僕には空襲体験ないんで勝手なイメージですが。

で、この論法でいくと逆にB29の空襲もゴジラみたいなものとして捉えられていたつう考えもアリになっちゃうんですよね、庶民にとって。


こう、なんつうか、どうしようもない、理不尽で巨大な力っつうか。
荒ぶる神の怒り的なものっつうか。
人智ではどうしようもないものっつうか。

ちょっとこの考え方は単純化しすぎて、空襲の犠牲者の方達に失礼で危険ですね。

それにゴジラは最終的に芹沢博士のオキシジェン・デストロイヤーで撃退したわけだし。
その方法はカミカゼかもしれないけれど。←自分が開発した超兵器を悪用させないための立派な行動でした


さて明日はシネコンに映画でも観に行こうかな?←今日はもう映画はいいかな?



Ⅱ:呪文みたいに書きますよ。


田中直毅さんと長田弘さんの対談集(かな?)「映画で読む二十世紀」の中の"『東京物語』と変化する社会"を読んだら、この『東京物語』の公開は昭和二十八年だと。

で、あいも変わらず前後の脈絡なく文を引用させてもらって

田中直毅さんが「昭和二十八年というと、まだ昭和初年の気分を残しており、この物語に出てくる人間関係、町のたたずまいから、たぶん昭和の戦前はこういうものだったのかなと推察できますね」

長田弘さんが「日本の近代の歴史は、普通、一九四五年、昭和二十年を境界にして、それ以前、それ以後に区切るでしょう。しかし、違う。生活の様式ということでは、明治にはじまった時代の本当の区切り目というのは、この物語が置かれている時代が本当の境界になると思う」

と、仰られているんですね。


んで、話が変わりまして、この『東京物語』の翌年公開の『ゴジラ』ですよ。

んで、また長田さんの「いちばんいい時期だったとよく明治生まれの人が言うのは、昭和一ケタ時代ですね。たいていそう言いますね。世の中がよかったと。それから日華事変、つまり日中戦争が起き、大東亜戦争、つまり太平洋戦争があって、昭和の戦後の時代になる」

これだ!平和な世界にいきなり現れた"ゴジラ"を、庶民から見た戦争として、この『ゴジラ』という映画は"庶民の昭和"という時代を"庶民の戦争と平和"を描いた映画だったのだ。

戦争で亡くなった人への、そして永遠に過ぎ去ろうとしている"時代"への鎮魂と、永遠の平和への祈りをこめた映画だったのだ。

このゴジラに始まる昭和三十年代のゴジラ映画は"時代"を描いた映画だったのだ。



Ⅲ:こじつけ上等◇其乃弐


初代『ゴジラ』は庶民の昭和史であった、と言う結論で。

『東京物語』の中での原節子さんと香川京子さんの「なりたかないけど、そうなっていくのよ」「いやーね、世の中って。いやーなことばっかり」という台詞。←本で読んだだけ

あれですよ。
社会が変質するちょうどその時に、人々の心の中に意識・無意識を問わずに共有されていたナニゴトかが、『ゴジラ』として結晶化したんですよ。

けっして幸福だったわけではない、真実かどうかももうわからない過去への郷愁とともに、夏目漱石さんが『こころ』で明治という時代の精神の死を捉えたように、この『ゴジラ』で昭和前期という時代の精神の死を捉えたわけですよ。


んで、ボソっと。
それに、この『ゴジラ』ってアメリカとかでも確かヒットしたんですよね。

ほら、ちゃっかりリベンジもしてるし。
 
 
 
Ⅳ:「もはや戦後ではない」つうたのは、え~と、昭和31年の経済白書の中ですか?もともとは中野好夫さんがお書きになった評論のタイトルであると。


あら?「ラドン」公開の頃?僕の思惑よりちと早いな・・・ま、いいか。

つうことは、東宝特撮映画DVDコレクション14「ゴジラ対メカゴジラ」(昭和49年3月21日公開)は当たり前に「もはや戦後ではない」ですよ。制作スタッフも代わってますよ。

したがって、そこに僕が最初の「ゴジラ」に感じた”映像の、特撮の、質云々ではない「戦時の空気」のリアリィティー”を求めるのはお門違いですよ。新しい時代の、新しい世代の、新しい空気の、新しい感覚を楽しむべきですよ。

ま、連合赤軍事件、日本列島改造論、第一次オイルショック、いろいろありまして、確かに戦後つうよりも近代日本の終りの始まりな・・・は、さて置き、怪獣さんたちなんですが、なんかもう画面の向こうの世界では存在することが当然な感じですな。出てきても格別驚かない。
台風、雷、火事、怪獣、てなトコですか。

なんつうか昭和三十年代の怪獣さんたちは「のっぺらぼう」の話みたいに、怪談にでてくる妖怪や幽霊みたい。
この映画の怪獣さんは「桃太郎」にでてくる鬼さん、ではなく、山に芝刈りにいった御爺さんみたい。その存在としては。僕の中で。


で、これは渋谷陽一さんがお書きになった文章だと思うんですが、記憶だよりのかなり不確か・失礼な引用になります。

60年代が終り、70年代になり、ロックもプログレやらなんやら新しい空気、新しい感覚の音楽が出てきて自分も打ちのめされ、時代は変わった、もうビートルズとか古臭くて聴けたもんじゃないと思うことがあった。
でも、そこからまた月日を積み重ねてみると、当時新しい・凄いと思ったプログレなんかは(一部の例外を除き)感覚として古すぎてとても聴けたもんじゃなく、逆にビートルズはあくまでビートルズとして今でもそこにある。

ん~ちょっと違うかな~こんな感じの文章だったと思うんだけど。

(注:え~いいわけではないですが、この映画の独特のスピード感は好きです、実は・2013/11/23)



Ⅴ:さて明日は東宝特撮映画DVDコレクション7「ゴジラの逆襲」が発売日されます。
 

いや~こうして考えると二週間って早いですねぇ。そりゃ、気づけば今年(2009)も終わりますよ。

で、ゴジラとアンギラスによる本邦初(でしょ?)の怪獣同士のバトルをどのように演出しているのか、今から興味は深深です。
そういえばウルトラマンと怪獣とのバトルを「プロレス」とちょっと馬鹿にした感じで表現する人もいますね。←僕は「プロレス」で何か問題あんの?と思います
ただ、この映画が公開されたのが昭和30年。当時の日本でプロレスはどんくらいの認知度があったんだろう?
結構、相撲とかを格闘演出の参考にしていたりするのかな。

で、ちょこっと調べてみたら力道山さんが日本プロレスを旗揚げしたのが昭和28年ですか。←その前からいろんな流れはあったみたいですね
これはゴジラvsアンギラスの演出にプロレスの影響があってもおかしくはないな。

まあ結論は明日が楽しみ!ってことで。


でも「ゴジラの逆襲」は前年の「ゴジラ」が思いがけず大当たりしたので、「いいから続編つくっとけ!」と勢いで製作したような気がせんでもないですが、そんな映画の発売を50年後に楽しみにしている男がいるっつうんだから世の中捨てたもんじゃないですよ。


Ⅵ:ゴジラの逆襲

結論から申しますと、やっぱり「ノコッタ×2」との行司さんの掛け声が聴こえてきそうな二大怪獣の格闘でした。←物言いは受付ません!←DVD付属のファイルによると、円谷英二さんは撮影当時「凄い猛犬の闘争を撮影して、その姿態をモデルにして巨獣の動きを工夫してみようと思ってる」と仰ってます

あと昭和30年(撮影は29年かも)の大阪の風景。大阪も空襲で中心地は(たぶん)焼け野原になったんでしょうけど、戦後十年で見事に復興を果たしていたんですね。素敵な街並みです。←結局、ゴジラ・アンギラス二大怪獣大暴れのせいで中之島から淀屋橋、大阪城と一面の廃墟と化してしまいますが

しかし怪獣の皆さんがどうにもこうにもお城好きっつうのは、当時の建造物で怪獣の大きさを際立たせることができるモノが他になかったという理由の他に、海外のマーケットを意識していたせいでもあるんですかね。
怪獣映画は外国に売れる!外人が観る!変なモノは観せられん!そこで日本といったらお城だろう!外国の皆さん日本にはこんな凄いモンがあるんだぞ!観たいか?なら、日本にいらっしゃい!みたいな。←200%適当です

で、アンギラスを倒したゴジラが去った後の大阪。
主人公やヒロインが勤める会社も焼けてしまい、焼け跡のオフィスの片付けを社員総出ですることに。
んで、僕はこのシーンに強くひかれました。やっぱり戦後まだ十年。戦争中の空襲の後の日常の風景ってこんな感じだったのかなぁと勝手にリアリティーを感じてしまいました。
もし今この映画を撮ったとしたらこんなシーンは描かれなかったんじゃないのかな。同じ内容を違うシーンで撮るんじゃないかな。と、感じてしまいました。

でもやっぱり、「人類の頼もしい味方・子供達の友達」なゴジラより、「荒ぶる神」ゴジラのほうが僕は好きですね。


ところで怪獣はお城好き!つうのを怪獣は天守閣好き!に訂正します。日本のお城の天守閣、怪獣のマタタビ説ということで。
これで、あれだけお城好きの怪獣さん達が何故か揃いも揃って千代田城には一切近づかない理由もクリアー

もちろん全怪獣の皆さんが勤皇精神旺盛な可能性もありますがね。
暴れてるのは世直しの一貫だっつうことで。


Ⅶ:あの日に棄てたあの女


『あの日に棄てたあの女 
今ごろ何処で生きてるか 今ごろなにをしているか
知ったことではないけれど 
時々胸がいたむのさ あの日に棄てたあの女』


いえ、違いますよ・・・ってもういいですね。
 
遠藤周作さんの「わたしが・棄てた・女」
前読んでるんですが、引っ越す時出てきたんでなんとなく読み始めました。
で、読んでたらこの歌詞がこの小説をある種象徴するものとして文中に出てきて、で、これはディック・ミネさんの歌だってあったから、ならばと"YOUTUBE"で検索してみたら、やっぱりこんな歌は見当たりませんでした。
たぶん遠藤さんの創作でしょうね。


ま、それはさておき、この「わたしが・棄てた・女」、ン年ぶりに読んだのか自分でもまったく定かではないですが、前はまったく気にせずスルーしてたけど、今回おもいっきり引っ掛ったトコがありました。

それは主人公である吉岡努と森田ミツが出会うきっかけになった、映画の人気スターや流行歌手の写真やゴシップを満載した「明るい星」という雑誌の読者交歓室に森田ミツが投稿した「映画の大好きな十九歳の平凡な娘。若山セツ子さんのファンならお便りお待ちしていますわ。」てトコ。


若山セツ子さん。


若山さんは東宝特撮映画「ゴジラの逆襲」(昭和30年公開)でヒロイン役をやられていて僕は初めて知って、それで凄い綺麗な人がいたもんだとネットで検索しました。

ちなみに「わたしが・棄てた・女」は昭和38年に「主婦の友」に連載された作品ですが、その作品の時代設定は戦後まもなくです。

「三つ編みをした小さな頭の中で、自分が(映画スターが演じるような)大学生さんとポプラ並木道を歩けたらどんなに嬉しいだろう、そう思いつづけていた」森田ミツも作品内で「一緒に大学生さんと歩けるだけで、もう自分が石浜朗の相手役をする若山セツ子のような気がする」と。


若山セツ子さん。


当たり前だけど、この映画の中の若山さんはどこまでも可愛らしく輝いていて、僕が検索して知ったことなんか彼女は何も知らない。

だって僕にとってそれは終わった過去の出来事でも、画面の向こうの彼女にとっては希望にあふれた未来の出来事だから。


若山さんが自ら命を絶たれたのは昭和60年。


このご本の中に遠藤周作さんがお書きになっているように「ぼくらの人生をたった一度でも横切るものは、そこに消すことのできぬ痕跡を残すということなのか」「人間は他人の人生に痕跡を残さずに交わることはできない」なら、そして「寂しさは、その痕跡からくる」のだとしたら。

若山さんの中にも、僕の中にも、誰の中にもそれはあり。


ま、これ読み終わりましたってことで。



・・・・・・・・・



37.タイトルなんにしよ?
 
 


いうわけで




Ⅰ:う~ん

幽霊話、何時も何か心にひっかかる。
霊の存在を信じる信じないとは別のトコで。

ここでは昔○○という痛ましい事件があったのだ・・・それ以来、被害女性の・・・
当時中学2年生だった男子がイジメを苦に学校の屋上から・・・それ以来、男の子の・・・

など、テレビでもたまにやりますよね。特に夏は。

まあテレビの放送作家とかが適当にでっち上げた話だったら別にいいんだけど。
それが作り話でなく実際にあった話だったら、実際にあった話を面白おかしくお化け話に脚色したものだったら、かつては生者だったその幽霊達にもご家族はいるわけで、どんなにぼかしても地元の人間には誰のことかわかるだろうし。今となっては噂増幅装置のネットもあるし。
例えば、イジメを苦に自殺した自分の子供が幽霊になって夜の闇を彷徨ってるなんて話を無責任にされたら、親としたらどんなに苦しいだろう。


そういえば高橋克彦さんの小説で、亡くなった自分の娘に逢いたい一心で娘の幽霊が出ると噂されている空き家を訪れる父親の短編があったなぁ。

家族だったら、特に親だったら、それが幽霊でも怨霊でも本当にいるのなら、また逢えるのなら、逢いたい!と思うものなのかなぁ...




Ⅱ:皆さんの部屋の窓からお月様は見えますか?

僕は見えません。

今日の深夜(午前二時頃)、ジュースを買いに表に出てみると満天のとは行かないけど、思いのほか星が見えました。

でも彼等は何故あんなに煌煌と輝くんだろう。
ン百万光年先なのかはしらないけど、こんな天の川銀河の太陽系の第三惑星の日本の関東の東京の・・・の男にまで「私はここにいるぞ!」と自己主張しちゃって。

なんだ?寂しいのか?君達は寂しいのか?
この無限に広がる大宇宙の闇のソコココにポツネンと存在することのあまりにもな軽薄さ、希薄さにそうでもしないと自己が耐えられないのか?レゾンデートルが見つけられないのか?
寂しくて寂しくて「誰か私を見つけて!ここに私は確かにいますよ!」と年がら年中輝き続けているのか?叫び続けているのか?孤独は嫌いか?怖いか?

輝いて見える人間ほど闇も深い気がするのはそういうことか?


と、無理やり風呂敷をたたみまして、ギャンブルなんですけどね。
僕にはギャンブル運は全くありません。その点、自覚アリです。

スーパーの食料品売り場のレジとかも僕が並んだ所が大体遅くなります。
それは最初にレジに並ぶ時点での注意力の無さが問題だっつう気が自分でもしますが、途中まではスムーズに流れててもドコかであるお客さんに引っ掛かって最終的に遅くなったりします。

だから、俺は並ぶレジとしてこっちを選んだ。いいか?こっちだ。だからこっちのレジに俺は並ぶ。
で、こっちのレジに並ぶと見せかけて・・・実はこっちだ!と独りで地味な抵抗をしたりもしますが、敵?もさるもの大概そっちが遅くなります。

で、それに類した話は数知れず。
だから僕はギャンブルは全くしません。
お金、集金されるだけですから。

もちろん競馬とかもしません。一度、競馬新聞の見方を教えてもらいましたがすぐに忘れました。

でも、どんなもんかとほぼ毎週競馬場に行く友達にくっついて府中の東京競馬場に行きました。
いいですね!競馬場!
緑も多いし、パドックでまじかに馬見れるし(何となくだけど元気の有る無しわかる気しちゃいますネ)、もちろんレースも生で見ると凄い迫力。
あれは別にギャンブルしなくても全然楽しめる場所だと思いました。
また散歩がてら立ち寄りに電車に乗ってこようかな?と思いました。
友達には「ここまで来て馬券買わんのか?」と言われましたが。

(注:ま、貧乏金なし・2013/11/24)

言葉間違ってるかもしれないけど、三連単でしたっけ?一時期友達が100万だ40万だなんだと立て続けに当ててましたけど、あれ人気の有る無し関係なしに自分の好きな馬(騎手の人も)をず~と買い続けてたらたまにあるんですってね。

ところで付近の街並みが綺麗な気がするのは競馬で府中市の財政が潤ってるからって本当なんですかね?
ギャンブル場があるトコは税収いいのかな?





Ⅲ:今日久しぶりに聴いたんです"Cry Me A River"

もしかしたら決して良い事ではないのかもしれないけど、時が経つにつれ自分の中である風景と密接に結びついてしまう曲ってありますよね。

"Cry Me A River"は僕にとってそんな曲の一つです。
いつも同じ一瞬。90年代中頃。深夜。西新宿の古ぼけたマンション。窓の外に煙草の煙越しにぼんやりと浮かび上がる副都心のビル群。

不思議なのは確かに当時この曲を聴いてはいたんだけど、この風景との関わりあいは別にないんです。もしかしたらまったくないかな?
あの頃、僕は起きてる間中といっていいくらい色んな音楽を聴いていました。
正直それは千切っては投げって感じの最悪な聴き方で、この曲もそんな中の一曲でした。
もちろん好きな曲の中の一曲ではありましたけど。

でも何時ごろからだろう、この曲を聴くと決まって同じ風景と匂いが頭に浮かぶようになったのは。
今ではまず思い出すことも無い、記憶の片隅へ僕を連れて行くようになったのは。

随分前に書いた文だけど、本当に「音楽って一瞬で、へたすりゃ一音で、音色だけで、忘れてた記憶の住処に人を連れて行きますよね。別に頼んでないのに」です。

しかし、まさかこの曲があの風景へと僕を誘うとは。

僕にとって(あくまでね)、この曲にはそんな秘密が隠されていましたか。
当時の僕は思いもしません。

多分、遠い未来、僕を過ぎ去った「今の一瞬」へと誘う鍵を秘めた曲もそうとは知らずに「今」聴いてるんでしょうね。
まあ、「今」のどの風景が「今の一瞬」となるかは「今の一瞬」を積み重ねて「今」を生きている僕には知る由もないですが。





Ⅳ:オヤジ考

そうそうオヤジ。

みなさんもある程度年齢を重ねると、「ああ俺もオヤジ(オバサン)になったなぁ~」と実感する瞬間があるかと思います。

何時そう思うかは

体力の衰えを自覚した。ちょっとした物忘れがふえた。結婚し家族ができた。家族のためにも、いくつもの仮面を使い分けなければいけなくなった。などなど。

人それぞれだと思います。

僕の場合は"ジャニーズの人に全く嫉妬しなくなった自分に気づいた時"です





Ⅴ:山河燃ゆ

今日はやっぱり寒いです。
いつもより厚着して部屋でPCを使っての作業中です。

こういう時、消化する意味もこめまして、普段聴かないCDを作業のお供に流すようにしています。持ってんだから一度は聴こうと。

今は大河ドラマのテーマソングを集めたCDを流してます。

40曲近いテーマソングが収められていますが、これが思いのほか面白く、思わず作業の手を止めてそちらに気をとられてしまうこともしばしばです。というか止めました。
今、二順目を聴きながら、早めの昼食をとっています。

考えてみたら、全ての曲が一年間続く大河ドラマの顔として作られているので、訴求力のあるものばかり。

「独眼竜政宗」や「武田信玄」や「翔ぶが如く」、懐かしさで胸が熱くなります。もちろん「徳川家康」も。

「赤穂浪士」などは実際にテレビ放送を見たことはありませんが、よくコント番組などで使われる曲はコレだったのか!と新鮮な発見もあります。

(注:そうそう、この「赤穂浪士」を聴くたびにダウンタウンの浜田さんの顔が何故か頭に浮かびます・2013/11/24)

しかし一番インパクトがあったのは「山河燃ゆ」。
放送当時、祖父と一緒によく見てましたが、第二次大戦前後という大河ドラマにしては異例の時代背景と、私がまだ小さかったこともあり、内容は正直よくわかりませんでした。
もちろんそのテーマソングも忘却の彼方です。

しかし曲がかかった瞬間、一気にいろんな思いが溢れて来ました。

もう亡くなった祖父。昔の家。コタツ。祖父が大事にしてた懐中時計。俺が破っちゃった障子。寄りかかっては怒られた柱。赤い色のブラウン管テレビ。ドラマの中で松本幸四郎さんが演じた、二つの祖国に引き裂かれた日系2世の主人公の苦しみと悲しみ。最後の自殺のシーン。

音楽って一瞬で、へたすりゃ一音で、音色だけで、忘れてた記憶の住処に人を連れて行きますよね。別に頼んでないのに。




Ⅵ:「牡丹燈籠」だったかな?怪談。

確か浪人さんがどこかのお嬢さんと恋仲になり、夜、逢瀬をかさねるも実はお嬢さんは幽霊で、んで、このままでは自分が幽霊にとり殺されるとわかって、あわてて家のまわりに幽霊が入ってこれないように御札を張って閉じこもるっての。
んで、理由はなんだったかな?結局御札ははがれて、「おのれ~」と中に入ってきたお嬢さんの幽霊にあはれ浪人さんは呪い殺されましたとさ。ちゃんちゃん。

みたいなの。わりと有名だよね。

でもね、高橋克彦さんという小説家の方のエッセイだったかな?本棚探せば見つかると思うんだけど。
記憶で書くんでかなりあやふやです。

昔の映画でね、あるらしいんだけどね、御札がはがれてお嬢さんの幽霊が中に入ってくるとこまでは一緒なのね。

でね、そこで当然、浪人さんは無茶苦茶拒否るんだって、「くるな~」て、お嬢さんの幽霊を。
まあ当然だよね、なにせとり殺されかねん相手なんだから。

でもね、そこで当然、お嬢さんの幽霊はオンドロドロと「おのれ~呪い殺してくれる!」・・・とは、ならずに「わかりました」とスゴスゴ帰ろうとするんだって。

で、浪人さんが「助かった~」と思ってたら、このお嬢さんの御付のおばさんの幽霊がもう怒っちゃって、浪人さんに「おい、お前!」と、「うちのお嬢様はたしかに幽霊だ」と、「だけどそれがどうした」と、「幽霊と人間が恋をしてはいかんのか!」と、もう説教をしちゃうらしいのね。

んで浪人さんも、肩をおとして帰っていくお嬢さんの幽霊の後姿をみて、「待て!」と、「その通りだ!」と、「人間と幽霊が恋をしてもいいではないか!」と。

そんでもって二人手に手をとって・・・。

ま、最終的に浪人さんが死んじゃうオチは変わんないみたいだけど。




Ⅶ:窓の外で猫が雨にぬれながら、随分せつない声で鳴き続けてるけど、何かあったのかな

あ、そうですか

「この世には何十回あっても、相手の存在が自らの人生に何の痕跡も与えぬ人がいる。その一方、たった一回の邂逅が決定的な運命をもたらす相手もいる」

という認識のうえでの

「ぼくらの人生をたった一度でも横切るものは、そこに消すことのできぬ痕跡を残すということなのか」「人間は他人の人生に痕跡を残さずに交わることはできない」のなら、そして「寂しさは、その痕跡からくる」のだとしたら

ということでしたか遠藤さん。

ま、上の文章のほうが書かれたのは後だろうけど。
いえね、今先手に取った遠藤周作さんのアンソロジーを何気に開いたらこの文章にぶつかったん。
瞬間、文字が飛び込んできた感じ。

たぶん、それはここで遠藤さんのそこらへんを一時期ウロウロしてたから、そのせいだとおもうけど。
妙に俺もこだわっていたから「あ、そういうことか」とね

どちらにしろその「寂しさ」は「痕跡」は胸の痛みは誰の中にも、僕の中にもあり

そりゃあるよね
だって痛いもん

これ読んでるアナタ、そうそこのアナタ。
痛いでしょ?なにかしらみんなあるよね?


つまりあって当然、これは否定的な話ではないと。
ただもう消せない消えないって話ですよ。

消さねばならない理由もないって話ですよ。



あ、そうそう。


窓の外で猫が雨にぬれながら、随分せつない声で鳴き続けてるけど、何かあったのかな


僕がそう書いたと同時に、猫は鳴くのをやめ何処かにいきました。

まるで僕に書かせるために鳴いていたみたいです。

なんて、んなわけない。




Ⅷ:現在平成二十一年十一月十一日午前八時十六分三十二秒であります。

アnコーヒーと...あん?

缶コーヒーとクラッカーで軽めの朝食を取っております。
少し眠いであります。

私が住む、標高三十メートルほどの雨降る世界はうっすらと靄がかかり、白っぽいいつもと違ういつもの町になっております。
しかし、思いのほか肌寒くはないのであります。これは風がないせいでありましょうか?
私にはその程度しかthe physical worldのことを判断する術はないのであります。

あ、メゾピアノからメゾフォルテへ、大地を叩く雨音が徐々に強くなってきたようであります。
しばらくは煙る時間が続くのでしょうか?

あなたのthe spiritual worldにも冷たい雨が降っていますか?
窓の外の雨音は激しさをましていきます。

現在平成二十一年十一月十一日午前八時二十七分四十一秒であります。



・・・・・・・・・



38.はい日本のみなさん夜空に注目!



満月とはいかんが綺麗なお月さん

はいみましたね

君と僕は今同じお月さんをみているわけだ

何十億年と言う悠久の流れの中のほんの一瞬の同じお月さんをみているわけだ

充分僕らはつながっているわけではないか

これはキセキ

アルゼンチンの人とは同じお月さんはみれんぞ!


でしたΘ




話はまったく変わりまして



Ⅰ:20th Century Boy

僕はそんなに野球詳しくはないんですが、今年(2009)の日本シリーズは北の雄「日ハム」と東の雄「巨人」の対決ですね。両方のファンの方には今月31日の札幌ドームでの開幕戦が待ちきれないことだと思います。

しかし一昔前だとこの日本シリーズはすべて東京ドームで行われていたんですよね。
上京当時、東京ドームで巨人戦と日ハム戦の料金表を見たときの不思議なせつなさは憶えております。

日ハムは北海道に行って大成功でしたね。僕もダイエーが福岡に来たときうれしかったですもん。
昔は九州にも西鉄とかプロ球団あったみたいですけど僕知らないし、僕にとってはダイエーが九州で初めてのプロ野球球団でした。
親父と二人でよく平和台球場にダイエーの試合を見にいってました。

ただ弱かった。

僕は「王さんの悪口を言う奴は豆腐の角からパワーボムくらって泣いてしまえ」とおもわず思ってしまう男なので、王さんがダイエー監督就任当時は辛かった。

ところで、PCのHDに録画してる「長嶋と王50年目の告白」と言う番組。もう4回くらい観ちゃいましたが、王さんはもちろん長嶋さんも「物凄い」って言葉を使うのが軽薄に感じられるくらい現役当時、物凄い努力や苦悩をされていたんですね。

僕は長嶋さんの現役当時を知らないので正直そこまでの思いいれはないんですが、長嶋さんの野球人生には感銘を受けましたし、病に倒れられてからの長嶋さんのあくまでも"長嶋茂雄"という自分の運命と闘う姿勢には「物凄い」エネルギーをもらいました。

そう言えば陳舜臣さんの「秘本三国志」という小説のラスト。五丈原での陣中、病に倒れ死を待つのみの諸葛亮の台詞として「私は運命を信じません」というのがあったよな。
「人は己の運命に打ち克つべきです」と。そうでなければ生きている意味がない。
例によって記憶頼りのあやふやなモンですけどネ。

古本屋で買った「回想」て王さんが現役引退当時だした自伝何処にしまいこんだかな?
番組観てたらまた読みたくなったんだけどな。




Ⅱ:月世界の白昼夢
 
山本直樹さんの漫画「レッド」第一巻を読む。
これは連合赤軍事件のお話。

この一連の事件の最初の死者がでたのが銃奪取を目的とした交番襲撃事件。

この交番、近所なもので、よく前を通りますが当たり前だが普通の交番。
のどかなもんです。


暇な時、たまった昔のビデオテープをPCを使ってデジタル変換。
ただ、もとがアナログなので、6時間録画したテープなら取り込むのにも6時間かかる。
だから基本的に違うことしつつ流しっぱなし。しかし、懐かしさも手伝いついつい見てしまう。

そうして思わず観てしまったのが、NHK特集“映像の20世紀”第4回「ヒトラーの野望」

もともと“映像の20世紀”は残された映像で20世紀を振り返ろうつう番組。
で、今回は恐慌後の世界に始まり、ナチスの台頭、WW2の開戦まで。

恐慌後にワシントンに集まった2万人の退役軍人を武力で鎮圧する陸軍参謀総長ダグラス・マッカーサーさん
ソ連を訪問するバーナード・ショーさん
ミュンヘン一揆の頃だか34歳当時のヒットラーさん
5・15事件直前の犬養毅さんの映像と肉声(一緒に映っている女の子は犬養道子さん?)
ドイツに宣戦布告するイギリス、チェンバレン首相の(本当に)悲痛なラジオ放送

など、見所てんこ盛り。そりゃ観ちゃいます。

中でも一番印象深いのはチェンバレンさん。
世界史の授業で習った印象では、ヒトラーにいいように利用されたお人好しの無能なおじさん。
他の国の領土のドイツへの割譲とかもあっさり認めちゃったり。

でもこのラジオ音声を聴いていると、この人はこの人なりに、一国の利害を代表する首相という立場の中で必死に平和への道を模索していたんだな、てことは分かる。採った方法の是非は別にして。
授業の二、三行の文字だけじゃ分からないことを、この肉声は教えてくれる。

(注:言葉はわからなくても、その無念さは本当に伝わってくる"音色"です・2013/11/25)

しかし映像はほとんど白黒。
たまにカラーがあっても古びててやはり時代性は感じます。
風俗とは別のところで。
こりゃ歴史だなと。


もしも百年後“映像の21世紀”って番組ができたらどうなんだろ?
今のデジタルの画像は百年後にみても何も変わらんだろうし。
たとえば今の永田町の政局だってサッカーの試合だって百年後も変わらぬ臨場感。
とくにスーツとかフォーマルな格好は百年後もそう変わらんだろうし。

これは歴史か?白昼夢か?

まあ映像そのものが今とは根本的に変わってるのかな?
2次元から3次元とかに。

しかし劣化しない(コピーすることも含め)ってことは怖いことかも。

アナログ世代が思うに。



Ⅲ:そういえば

「ったく、くだらねえ。こんなクズ誰が観るんだよ!」と思わず言ってしまう作品ってありますよね。映画にしろ、テレビドラマにしろアニメにしろ何にしろ。
で、やっぱり僕にも「こんなクズ誰がみるんだよ!」と言ってしまう作品が間々あります。で、僕はそう言いながらがっつり観てしまう作品も間々あります。「くだらない×2」と言いながら延々観てしまう作品が。

一応「どこまでくだらないか確かめるために観ているんだよ」という(自分への)説明も用意はしているんです。
が、果たして本当にそうなんだろうか?
いや、確かに「くだらねえな」とは思ってる。それは間違いない。しかし「誰が観るんだよ!」はどうだ?う~ん、これもそうは思ってはいるか?だって、本当にくだらない。観るのは人生の浪費以外の何者でもないだろう。

しかし僕は観てしまう。
誰かに詰問されている訳でもなく、僕がそれを観ているコトを誰にも知られていない状況下においても、「どこまでくだらないか確かめるために僕は観ているんだよ」と自分に言い訳をしながら観続けてしまう。

いったい僕は何が怖いのだろう。
何から目を背けたいのか。

それは謎でも何でもない。答えは答えとしてそこに在る。言葉は時として本質を隠蔽する。暴くのは誰だ。裁くのは誰だ。罪びとは誰だ。罪とは何だ。

この話の流れは何だ。




Ⅳ:弦楽のためのアダージョが好き

サミュエル・バーバーさんが作曲した「弦楽のためのアダージョ」が好きです。
この曲は死者を悼む、送る時に使われることが多い、感傷的な雰囲気を纏った曲です。

この曲は、聴く者に人の世の、哀しさ、虚しさ、辛さ、醜さ、愛しさ、そして儚さ、あらゆる感情を呼び起こさせます。
悲劇的なドラマの静謐なラストシーンに使われることが多いのもうなずけます。

しかし私がこの曲を好きな理由はそこじゃありません。

光がみえるからです。

この曲は、その音にこめられた確かな人の意思で、汚泥にまみれた人の世の、深い絶望の底の底に、希望という小さな小さな松明が灯っていることを確信させてくれるからです。

絶望は答えではない。

だから私もたとえ夕食のチャーハンを作るのに失敗したからといって、人の世に絶望はしません。
不味いだけで食べれるじゃないか。前みたいに食べた直後に頭痛がしたり、吐き気がしたりしないじゃないか。完食できたじゃないか。失敗するのをみこして作る量を少なくしたのはご愛嬌さ。
大丈夫、進歩してるさ。

今度はもうちょっとちゃんとレシピを読もう。
男の手料理だと目分量はもうやめよう。
隠し味だと考え無しにソースとか入れるのはやめよう。

うん、以後気をつけよう。
だってほら、世界はこんなに美しい。



Ⅴ:迷羊

ひさしぶりに北野武さんの「HANA-BI」観ます。
「ソナチネ」も観たい気分なんですが、現在僕にそこまでのパワーがなく。
つうと「HANA-BI」にパワーがないみたいですがそういうわけではもちろんなく、「門」と「三四郎」で今は「門」を読みたい気分なんです。

僕は三部作のなかでは「門」に一番ひかれます。
何度も読み返したのはまちがいなく「それから」ですが。

と書いていたらふと思いました。
僕は以前『日本は滅びる』と言ったのを「こころ」の"先生"だと書いた気がしますが、あれって「三四郎」の冒頭"三四郎”が上京する汽車のなかでの話ではありませんでしたか?どうでしたか?

あれれ?




Ⅵ:そうそう

『そう言えば陳舜臣さんの「秘本三国志」という小説のラスト。五丈原での陣中、病に倒れ死を待つのみの諸葛亮の台詞として「私は運命を信じません」というのがあったよな。
「人は己の運命に打ち克つべきです」と。そうでなければ生きている意味がない。』

つう文を以前書いたんですけどね、ちょうど整理してたら「秘本三国志」の最終巻が出てきたんでパラパラと拾い読みしてみたら、何処にもそんな台詞は"無い"ですな。まったく"無い"ですな。


で、そんな訳で、そこのトコを『そう言えば陳舜臣さんの「秘本三国志」という小説に諸葛亮の台詞として「私は運命を信じません」というのがあったよな。』に修正します。

いやね、たしかね、たぶんね、その小説の中にはあったのよ、諸葛亮の台詞として、そういう言葉が。

ま、もし無かった時は僕の創作だったということでいいではないか!
あの話のオチにはこの一文が必要だったのだ!



で、子母沢寛さんの「新選組始末記」。

この本は、子母沢さんが当時まだご存命だった新撰組隊士の方や遺族の方に直接取材されるなど、非常に興味深いエピソードがてんこ盛りの面白い本です。
でも、その記述スタイルからこの本は"ノンフィクション"という印象を読む者にあたえてきましたが、実はかなり(関係者の証言も含めて)子母沢さんの創作がまじったある種"小説"ではないかと最近(でしたか?)疑問を持たれています。←板橋の刑場(埼京線の板橋駅んトコですね)で首を切られ処刑された近藤勇の胴体を親族が掘り出すエピソードとか。

が、たとえそうであったとしても、この「新選組始末記」には武士の世の最後を駆け抜けた若者達の青春の真実が息づいています。
それがどんなに血塗られたものであったとしても、視点によってはたんなるテロ集団、内ゲバ集団だったとしてもです。

会津藩家老山川浩さんが明治後に書いた(一説には弟で東京帝国大学総長の健次郎さんが書いたとも)、会津藩の京都守護職時代の記録である「京都守護職始末」に「新撰組、規律厳粛、志気勇悍、水火と雖も辞せず、後諸浪士来附するもの頗る多く、守護職の用をなせる事、亦甚だ多し」と書かれた誠の志が「新選組始末記」の中には確かにあります。


え~~と。

だ・か・ら、僕が少々記憶違いしていても、なんなら創作しちゃっていたとしても、別にいいではないか!
「真実」は「事実」の中にだけあるわけではない!と、話の流れを持っていこうと現在画策中です。

とは言うものの、亡国の臣、山川兄弟が(あえてそう書きますが)「京都守護職始末」にこめたろう、「真実」は作られた「事実」の中にだけあるわけではない!という想いを考えると、あんまり軽はずみなこと書くのも・・・。




Ⅶ:love

木村東介さんが主人をつとめる文京区は湯島、古美術の羽黒洞をジョン・レノンさんと小野洋子さんが訪ねてきたときのことを木村東介さんご自身がエッセイに書かれています。

木村さんは明治生まれで、ジョン・レノンさんのことはよく知らなかったらしいです。
だから成金のガイジン(という言い方はなさってませんが)に自分が精魂こめて集めた美術品を売りたくはなく、最初はなるべく二流品を見せようと思ったそうです。

「いくらか?」「二百万」「OK」「いくらか?」「四十五万」「OK」「いくらか?」「五十万」「OK」といった会話を何度か繰り返したあと、レノンさんの目は棚につんである箱行のいいものにとまります。
「これはなんだ?」
「これはあなたには無理で、日本の俳聖といわれた芭蕉という人の短冊である。中にかいてあるのは俳句というものだ」
しかしレノンさんは熱心に木村さんに中をみせてくれと頼んできたそうです。
それならばと木村さんは箱から出し、床にかけます。

「古池や蛙飛びこむ水の音 芭蕉」

「いくらだ?」「二百万」

するとレノンさんはすぐに「分けてくれないだろうか?」と恐る恐る聞いてきたそうです。
木村さんが「貴方が欲しければわけてあげてもいい」と言うと、途端に目を輝かし「すぐに軸をはずしてくれ」と言うので、丁寧に巻いて二重の箱に収めてレノンさんに渡すと、レノンさんはその箱を抱きしめて離そうとしません。

そして、「ロンドンに帰ったら、この軸のために日本の家を建て、日本の茶席を造り、床の間にこの軸をかけ、池のある庭を造って日本のお茶を飲む。そしてその日から自分は英国人ではない、立派な日本人になり、日本人の心になって、この芭蕉や白隠や仙涯を見て楽しむから、私に譲ったことを嘆かないでくれ」と、レノンさんは心から木村さんに頼んできたそうです。

実はこの木村東介さんのエッセイ「ジョン・レノンと歌右衛門」は題名にあるようにここから話の核心に入っていきます。
もし興味のある方は講談社文庫「ビートルズってなんだ?」に収録されているのでそちらで・・・。



でも、僕がこのエッセイで一番好きなエピソードは、(おそらく)呼んだタクシーを待つ間、店(木村さんの自宅?)を出でバスの停留所の石のあたりにレノンさんが腰掛けていたら、若い女の子達がみんな不思議そうにレノンさんの顔を見みながら通っていくってくだりです。

そりゃ1971年1月20日の昼下りに、東京は文京区湯島の天神下付近のバス停留所のトコにジョン・レノンが普通に腰掛けてるとは中々思えませんよね。←結局、木村さんが戻ってきた女性に「あの人はジョン・レノンか?」と聞かれて「そうだ」と答えるとたちまちサインを求める女性が増えてしまったみたいです





Ⅶ:夏に放送されたのを録画しといた「若い広場・矢沢永吉からのメッセージ」を今日観ました

え~と、このインタビューが収録されたのは80年の1月で本放送が2月ですか。もう30年前と。

すごいな~言ってることがまったく古くなってない。おそらく今から30年後もまったく古くなっていないでしょう。
つうかまったく言ってることにブレがない。
「本質」をグワッと鷲掴みにしちゃうんだろうな。

しかし、インタビュアーの中部博さん26歳の「選挙に出ようと思ったことあります?」との質問に「金儲かる?ソコ」と笑って返した30歳の矢沢さん、マジでシビレます。





Ⅷ:そういえば

以前、一回ずつ、もちろんお二方に一度もあったことがない人に、時系列で書いて
 
君はある意味、ジョンレノンだからな
君はある種、長嶋茂雄だからな

と、いわれたことがあります。
が、そこは少しあやふやで、もしかしたら

君はある種、ジョンレノンだからな
君はある意味、長嶋茂雄だからな

だったかもしれません。
これでわかることは

ジョンレノンさんは、ある意味、長嶋茂雄さん
長嶋茂雄さんは、ある意味、ジョンレノンさん

長嶋茂雄さんは、ある種、ジョンレノンさん
ジョンレノンさんは、ある種、長嶋茂雄さん

て、ことですね

もちろん僕はお二方に一度もあったことがないです




Ⅸ:では、本日のお別れに

Nick DeCaroさんで“Under the Jamaican Moon”

聴いてると、心にお月様。

プカプカです。



・・・・・・・・・



39.夢をみた 




いうわけで




Ⅰ:倜儻不羈

あともう少し時間が経過すれば今年(2009)も残す所あと三日です。
三日といえば三日の一倍じゃないですか。まったく時間の経過はあなどれません。

さて今日の昼下がりくらいでしたかね、外出中の僕の前を素敵な老婦人が里帰りをした娘のお孫さん(無責任想像)をつれて散歩されてたんです。
んでもって向こうから割と大型の犬をつれて散歩中のこれまた素敵な老夫婦がいらしたんですが、両者はお知り合いらしく道の途中で立ち止まり「あら?かわいいお孫さんね(無責任想像)」みたいな感じでお喋りがはじまりました。

で、僕は、遊歩道だし、割と道広めだし、僕に気づくと脇によけてくれたし、てことで、すれ違いざまにお互い軽く笑顔で会釈して通りましたが、気になったのはそこではないんです。

あの男の子、何歳くらいだろう?3~4歳くらいかな?
もしかしたら自分の家でも大型犬飼ってて慣れてるのかもしれないけど、自分の背丈の倍はあろうかという異生物に笑顔で寄っていき手でペタペタ、犬のほうから顔を近づけてきても笑顔でナデナデ。

何気にあれって凄くね。もちろん小さい頃は全てのモノが大きいのは当たり前で、世界は見上げるモノで、そんなモンだと思っていて、たぶん僕も幼児の頃はそうだったんだろうけど、やっぱり凄くね。

例によって馬鹿話だけど、今の僕の倍の背丈といったらざっくり3m50cm。どんだけ邪気がなく尻尾フリフリだったとしても、僕は建物の二階くらいの高さはあろうかという異生物にヒョコヒョコよってこられたら失禁しますよ。顔をヌッと近づけられたら失神しますよ。

幼児凄え。僕の中にも棲んでいたろうあの倜儻不羈な魂は何処いった?
そんなモンいるわけない?いないモン考えてもしょうがない?常識が邪魔なのか?経験が邪魔なのか?


んでも、僕が小学校に入るくらいの頃だけど、アリとか虫が巨大化して人間を襲うって映画観てムチャ怖かったから、流石に現在進行形の幼児もアリだのゴキだの蜘蛛だのが巨大化したら怖いだろう。

ん?これは話がズレてるか?
あくまで幼児にとって犬の中にはデカイのもいるってのは経験上の常識で、虫はやっぱり虫だもんな。
比率を変えてはいけまへんな。





Ⅱ:続

さて、いよいよ今年も残す所あと三日です。
三日といえば三分の千四百四十倍、三秒の八万六千四百倍じゃないですか。まったく時間の経過はCross Road Bluesです。

で、考えてみたら今の自分の背丈の倍っつうたら象くらいですかね?

ん~別に象を間近でみても失禁も失神もしないなぁ。
やっぱり象とはそういうモンだと頭の中に常識としてインプットされていたら無問題なのだな。

つうてもそれはあくまでも動物園で柵や堀越しに見た場合の話で、外出中の昼下がりに向こうから「リンゴちょうだい」とノラ象や飼い象が邪気なく尻尾フリフリ鼻パオ~ンでドスコイとやって来たらやっぱり僕は一目散に逃げるかな。もしかしたら身体固まっちゃって失禁・失神コースになっちゃうかもしれないな。

あ、そういえばタイ国でしたっけ?どこでしたっけ?そこらへんの街中を飼い象が(ノラ象も?)普通に歩いているのは。
おや?異国だったら結構象が傍に寄ってきても大丈夫な気がするな。
だって実際に見たことないけれどソコではそんなモンなんだろうと頭の中にインプットされているからね。
やっぱり東京の街中でそんなコトあるわけないっつう僕の中の既成概念が失禁・失神コースさせてしまうのだろうな。




Ⅲ:・・・

メールアドレスなんですけどね。

まあ皆が皆ってわけじゃないだろうけど、携帯であったりPCであったり、結構一人でいくつかアドレスを持ってますよね。僕も何個かメルアドを取得して、用途や重要性、もちろんセキュリティーも考慮して使い分けています。←OCNだけでメルアド結構取得できますよね

で、そうすると普段はほとんど使わないメルアドってでてきますよね、それこそ半年近く放置してしまっているような。
で、今日ちょっとそこに収納されている過去メールの内容を確認しなきゃいけない用事ができたので、久々にアクセスすることに。

が、できん。ログインできん。
ええ、あたりまえに期限切れでログアウトしています。
あれ?パスワードなんだったっけかな?

基本的にメルアドに限らずパスワードは四種類を使い分け・並びの入れ替えで使っていますが、たま~に全く脈絡のない数字をパスワード登録してしまうこともあるんです。
これは「あんまり重要な用件に使うメルアドじゃないから適当でいいや」とやってしまうんですが、よくよく考えたら、よくよく考えんでも"逆"じゃん、たいしたことに使わないからこそ(わりと)単純なパスワードでいいんじゃん。
全然使ってないから完全にパスワード忘れてしまった。それにパスワード変更に必要なモノも消しちゃったみたい。
いろいろ試してみるも「パスワードが違います」のつれないお返事が返ってくるのみ。
現状は完全に悪意を持った第三者が他人のメールに不正アクセスしようと頑張ってる状態です。


・・・から一時間が経過しまして、無事ログインできました。
うっすらと記憶にあったパスワードを書いておいたメモ帳を無事発見することができました。
今から色々ひっくり返したのを片付けなきゃいけないかと思うとちょっと青ですが、まあいいでしょう。
もしログインできなかったらあることが赤になっちゃうトコだったんで。

さて、今のうちにパスワードを(僕にとって)簡単なのに変えときましょうかね。
だって、半年くらい後に「あれ?パスワードなんだったっけかな?」と言ってる僕の幻影がすでに見えてますからね。



Ⅳ:最近は(僕は)あんまりみかけません

普段生活している中で、あんまり和服を着てる方ってみかけませんよね。特に男性は。
まあ外ではスーツだけど家の中での普段着は和服ですよっつう方もお見かけしません。
でも戦前の写真を見ると結構皆さん和服に帽子ですよね。
この普段着も洋服ってのはどのへんでそうなったんですかね。やっぱり東京オリンピック前後くらいですかね。

ん~サザエさんのアニメが開始された昭和44年くらいはまだ普段着は和服の磯野波平スタイルは一般的だったのかな?←でも僕が子供の頃(70年代生まれ)にはすでに磯野波平スタイルにはノスタルジックな香りが漂っていた気がします

ん~それにマスオさんの普段着はたぶん放送最初から洋服だったろうしなぁ。
つうか昭和44年つうたら1969年、The Beatlesの「Abbey Road」が発売された年。
この極東の島国も若い人の普段着はそりゃ洋服ですよね。

ん?サザエさんの漫画開始は戦後すぐだけど、その中でもマスオさんの普段着は洋服なのかな?もしや和服か?
あれかな?ズボンにランニングシャツとかなのかな?←冬は半纏?


まあ、人間便利で新しい方にひかれてしまうのはしょうがない。

でも、ある地点で世代間の生活様式に断絶がおこり、「何か」が一度失われると、それがどんなにささやかなモノでもそれをもう一度取り戻すのは容易なことではないですよね。

んがしかし、最近(200912~201001)東京の街中では普段着に自分でアレンジした和服を着ている若い人もたまにみかけます。
足元ブーツも悪くないですが、下駄をカランコロンと鳴らして歩くさまはいなせで格好いいです。

つうてもこれは別に昔の生活様式の復活ってわけではないでしょうけど。それは、また新しい「何か」で。
ま、一方向だけではなく多様性が出てくるのはいいことです。

よね。




Ⅴ;惑星直列

まあ落ち着け、とりあえずみかんでも食いねえ。

しかしなんだねぇ、小さい頃はみかんの果皮をむいたあと、両手で割って一房(っていいかたでいいのかな?)ずつ口に入れては果肉だけを食べて、包んでる皮は苦くて食べれないと「ペッ」と吐き出してたけど、何時の頃からか皮も一緒に、なに小さいみかんなら丸々一個を口に放り込んで食べるようになったねぇ。

あの頃、僕はそれが何か大人に近づいた証明のような気がしてね、ちょっと得意だったのさ。

その後、誰かに「みかんの皮ば食べ過ぎると盲腸になるらしかばい」と言われてかなりビクついたけど、だからと言って上り始めた大人への階段を下りる気は僕には毛頭なかったさ。下りることなんてできやしないのさ。
もう子供にはもどれない。「皮ば出さんでよかとね」と親に言われても「よか」と炬燵で黙々とみかんを食べ続けたものさ。

で、そうすると足の裏って黄色くなりませんでしたっけ?
んで、裸足の時、何かのはずみに足の裏を他人に見られて真っ黄色(正確には違うけど)で、「お前、みかんの食べすぎばい」と笑われたり。

これはやっぱりみかんの色素が問題なのかな?と調べてみたら・・・
ほお、みかんの色素は脂肪にたまりやすいと・・・

ところで「みかんの皮ば食べ過ぎると盲腸になるらしかばい」、これ違いますよね。
僕は人の話を信じ込んじゃうトコがあって、ンなわけないと思いつつ・・・みたいな。

だって僕はまだ盲腸になっていないんですもん。
なら関係ないだろ自分の体で証明しとるわ、とも思うんですが、なんつうか「もしかして」つう心の片隅の小さく黒い炎はまだ消えてないんです。

僕はノストラダムスだのマヤだの信じてる人を笑えませんな。




Ⅵ:でも近年はなにかと逆方向に振れてますかね

既成概念つうわけではないですが、僕の江戸時代や戦国時代(もちろん他の時代も)のイメージはやっぱり時代劇や大河ドラマで出来上がってしまってます。
で、今回は話を江戸に絞りまして、江戸のイメージとして僕の意識の底まで勝手に入り込んできているのは「水戸黄門」「大岡越前」「江戸を斬る」などの時代劇だと思います。

で、もし僕が実際に当時の江戸にいったら「なんじゃココは?こんなトコ江戸ではないぞ!」と違和感ありまくりなんじゃないだろうか?
僕にとっては「水戸黄門」や「大岡越前」のテレビの画面の中の箱庭な江戸が江戸で、大空の下、パノラマワイドに広がる江戸は江戸と認識できんのではないだろうか。
それはなくても違和感ありまくりではないだろうか。
考えてみたらそこに結構な時間差があるとおもうけど「水戸黄門」や「大岡越前」、何なら他の時代劇も含め、人々の風俗があんまり違って見えんつうのも凄い話だし。
まあ「水戸黄門」はあんまり江戸自体が舞台になることはないけれど、それこそその分旅先の風俗は現実にはもっと地方色豊かなバラエティにとんだものだったのではないだろうか?←もちろん黄門様、現実には諸国漫遊などしとりゃせんよ

もしかしたら僕が無知なだけ登場人物は当時流行りの髷を結ったりしているのだろうか。

でで、時間もないので話さらに飛躍しますよ。

若い晩年の坂本龍馬さんも実際にあったら「どちらさん?」となるかもしれませんね。
「坂本は梅毒にかかり頭が禿げて」みたいなコトを言ったのは中江兆民さんでしたかね。
まあ梅毒云々は中江さんの勘違いつう話だったと思いましたが。

はおいといても、坂本龍馬と言ったらコレ!つう写真ではなく、若い頃や(確か)晩年の縁台に腰掛けてる写真とか見るとちょっとイメージ違いますね。
縁台に腰掛けてる写真の(イメージから僕が想像する)人に声かけられてもとても坂本さんとは思わんだろうし。

ま、このへんの感じ方は人それぞれでしょうかね。

あれは魯迅さんでしたか孫文さんでしたか、「三国志演義」の中で諸葛亮の智謀如湧っぷりを描こうとするあまり、結果的に諸葛さんが人ではない「化け物」みたいな存在になってしまっているっつうた話があった気がします。ええ”気”です。
そこまでではないですが、わりと坂本さんにもそのケはある気がします。ええ”気”です。
ある種、「或る日の大石内蔵助」状態というか。何故か独り醒めてる坂本さんの周りでオロオロする無知蒙昧な人々というか。

ま、このへんの演出は好みの問題ですか。

で、あたまにもどりまして、どちらにしろご当人にはエンもユカリもない”いいツラの皮”てことも多いんだろうな、て、気も少しします。ええ”気”です。

まあ表現するほうからしたら方便としてその人の名前を借りてるんでしょうが。

そーいえば、生粋の江戸っ子の人って「ひ」って発音できずに「し」になるんでしたっけ?
たしか昔、愛川欽也さんがクイズ番組で「商品はこちら!」てのを「しょうしんはこちら!」って言ってた気がするけど。
どうだったかな?

だとすると、実際の江戸は時代劇とはそんだけでも随分印象違いますよね。
もちろん大阪が舞台の「ゴジラの逆襲」も、九州が舞台の「ラドン」もほぼみんな標準語しゃべってますけどね。


で、昨日(20091228)ああ書きましたが、気になって調べちゃいました、幼児と大型犬の関係を僕と象の関係に比するのはやっぱり無理がありますな、体重の対比一つとっても。それに身長倍はないだろうと。いいすぎだと。





Ⅶ:いいツラの皮

そ~いえば、司馬遼太郎さんが、家康は信長に対してだけはその対応が(助けにきてくれないとアナタを裏切るしかないと手紙でスネてみたり)最後まで女性的な印象をあたえるのは何故だろう?みたいな(無茶苦茶ざっくり)こと書かれていたけど、あのお二人はできていたんですかね?

司馬さんも、家康の幼少期、尾張に人質としていた頃、信長に愛でられたことでもあったのだろうか~みたいな(無茶苦茶ざっくり)こと書かれていましたかね?

家康さんの淡いおもひでの殿方が信長さんだった~みたいな



ま、別に当時は、(すくなくとも)侍の中では、女も男もどんとこい!てのは割と普通のことだったはずですが←前田利家さんも信長さんの元カレ(カノ?)ですよね

がが、信長さんは確かにそうだけど、上杉謙信さんみたいに男のみ(あいまい)てなお方もいるけれど、家康さんは生涯女性のみを愛した方ではありませんでしたか

男には手をだしていませんよね、たしか(あいまい)

ま、だから、いくらなんでも信長さんと家康さんができてたとか、そりゃないですよね

ばかばかしい



じつは家康さん

生涯、信長さんに男の操をたててたりして




Ⅷ:信長の野望


「今の世の中にこそ織田信長が必要だ」みたいなの

もし本当に織田信長さんが、信長さんみたいな人じゃなく「天下盗ったる!!」とブイブイ言わせてた頃の信長さん本人が現在に本当に現れたら、「今の世の中にこそ織田信長が必要だ」とか平気で言っちゃう人が真っ先に信長さんに焼かれちゃうんじゃないですかね

そういう発想が後ろ向きな人、信長さん一番嫌いそうだから、敵とかよりも
なんとなく

たま~に思うんですよね、自分が焼かれる側とは思わんのかい?って
なぜ無条件にアチラ側だと思える?

もちろん焼かれたほうが悪いって言いたいわけではなかとですよ
見方はいろいろでしょうし
それに僕が生まれる前に亡くなった祖父は天台宗の坊さんです←念のため比叡山延暦寺ってやつね

どちらにせよ冗談ですよ




Ⅸ:この世界で

ついこないだ、四日前(20100325)かな?ほとんどの子供は現実と空想の区別はついてると書いといてなんですが、僕は子供の頃、すべての大人は、もう完璧、嘘もつかなきゃ、とにかく間違った事をしない生き物だと思ってました。結構長いこと思ってました。

ま、僕は生まれつきかなり単純で、人の話を信じやすいトコが今でも(これホント)あるんですが、子供の頃はそれに輪が四重くらいでかかってたんです。で、子供の僕は、我ながら言う事は嘘や言い訳や責任転嫁(こんな言葉知らなかったけど)ばっか。
当時から誰に対しても隠し事だらけでした、外面的にも内面的にも。
どう考えても、これは治りそうにありません。

どうしたら僕はあの人達みたいな”大人”になれるんだろう。
もしかしたら、僕はずっとこのままで”大人”にはなれないんじゃないだろうか。
あの人達も昔は僕みたいだったんだろうか。
もしかしたら、何時か、ある瞬間、「何か」が起こって、僕も今みたいじゃなく、嘘もつかなきゃ、間違ったこともしない立派な”大人”になれるんだろうか。

ずっと、不思議な不安でした。


さて、引越しでゴタゴタしているといつの間にかやってきました、明日は東宝特撮映画DVDコレクション第14号「ゴジラ対メカゴジラ」(昭和49年公開)の発売日です。

東宝特撮映画、魔法の昭和30年代は遥か彼方、世俗のしがらみにまみれた?ゴジラさんの闘いっぷり、目に焼き付けたいと思います。
つうても、僕が子供の頃なら「ゴジラ対メカゴジラ」なんてベストバウトすぎてそれこそ魔法のような一時だったでしょうけど・・・

で、たま~に”子供は天使”とかいうけど馬鹿じゃないの、子供くらい利己的で残酷な存在はいないだろう、つうご意見もあります(よね)。

が、僕は「利己的で残酷」もひっくるめて”子供は天使”でいいと思います。
もちろん、人生それじゃやってけません。もしかしたら、やってける人もごくまれにいるのかもしれませんが、ほとんどの人はやってけないでしょう(よね)。

で、みんな天使でいいと思います。



・・・・・・・・・



40.go next



(注:文章の入れ替えをおこなってますが、これを最初にアップしたのは2010年12月31日。まとめはここまでです・2013/11/27)


Ⅰ:blue moon

夜が明けちゃってるのに、帰りそこねちゃったお月様っつうのもいいもんです。
恥ずかしそうにちょっと空の青に溶け込んじゃったりして。



Ⅱ:人生バケラッタ

僕は次男坊です。いえ、末っ子です。どうしようもなく末っ子です。

したがって、
あらゆる分野で他人に甘えるのが大好きです。
あらゆる分野で他人に甘えられるのが大嫌いです。

そうです
バケラッタ界のドン
バケラッタの中のバケラッタ

キング オブ バケラッタ「ひろヨンサンさん似」とは私のことです。
(注:ま、気にしない・2013/11/23)


も~ひどいもんです。
ひどいだけあって、僕にバケラッタさせてくれる相手を見つける才能は我ながらすごいんです。
それが年上だろうが、同い年だろうが、年下だろうが、バケラッタさせてくれる相手を見つけてはさんざんバケラッタしちゃうんです。

も~ホントにバケラッタなんです。

正直、言葉を話すこともまどろっこしいんです。

①バケラッタ?
②バケラッタ→
③バケラッタ?

と語尾の上げ下げ三種類だけですべてを済ませたいんです。

それはさすがに無理か。
残念。

③バケラッタ?



Ⅲ:桜の花だ

もともとBSで放送された番組なんですかね。東京近辺だけかもしれませんが、昨日の深夜というか今日(20100311)の早朝というかに「魯山人誕生」つう番組をやってたんで、録画して寝起きに観ました。

ほ~魯山人さん没後50年なんですね。まったく知りませんでした。
ちなみに僕は魯山人さんのお作を実際にみたことはなく、魯山人さんが折にふれ味道について書き残された「魯山人味道」を読んだことがあるくらいです。

で、僕の読みが浅いんでしょうけど、内容は至極あたりまえなことが書いてあるんですね、何十年も後の世界を生きている僕にもわかりやすい平易な文章で。
もう書いてある内容を深読みとかする必要も無い、書いてあるそのままを受け止めればいい、表だけの素直な文章な気が僕はするんですね。

でも、これって凄くないですかね。
変にゴテゴテ文章を飾りつけたり、わざとぼかして、読み手がどうとでも取れるような余白(逃げですな)を作ったり、とか一切ないんですね。すべてについて言い切るんです。相対化はしない。もちろん「北大路魯山人」という看板を掲げて。

もちろんそれが良い悪いではなく、魯山人さんの視点、それ”のみ”が正解というわけではなく、「美」に向き合う姿勢としてはやっぱり凄いな~と。己の「美」に対する絶対的な確信があったんだな~と。

↑現在、余白鋭意製作中




Ⅳ:夜とピストル

夜中に昨日録画しといた「死刑囚・永山則夫-獄中28年間の対話」をぼんやりと見だしちゃったら結局最後まで。寝たのは三時過ぎ。現在、チョイと眠いでありんす。
番組の内容にも引き込まれたけど、一番印象深いのは永山則夫さんの「目」かな。
もちろん写真だけど、犯行当時(かな?)のこの世界のすべてを拒絶している「目」と何時撮られたかは判んないけど獄中で撮られただろう本当に優しくて穏やかな「目」。
ま、そもそもこの番組を制作した人がそこンところの対比を際立たせようつう演出をしていると思うので、思いっきりその印象操作に乗っかっちゃったかな?つう感じも無きにしもあらずですが。
 
こういうのも軽い洗脳つうのかね。

しかし、別にその二枚の写真自体が偽造されたもんじゃないからね(だよね?)。その洗脳、こっちから乗っかったりましょ。確かに貴方達(製作者サイドね)がその「目」に込めたメッセージは伝わりましたよ。

とは言えるわけありませんな。でも貴方達がその「目」に「何か」をこめたということは伝わりましたよ。僕は僕なりにその「何か」を感じとりました。

が、永山さんが何の罪もない四人の人の命を理不尽に奪った事実は事実。
この方たちはもう何も語れない。

「罪と罰」。難しい問題でございます。


も一つ印象深かったのは、獄中の永山さんと結婚された和美さんが自ら語られたご自身の絶望。
アメリカ統治下の沖縄でフィリピン人の父と日本人の母との間にハーフの子として生まれ、フィリピン人の父はすぐいなくなり、日本人の母親が自分の戸籍に和美さんを入れなかったため戸籍もなく、苦しい貧困と絶望の中で自分を棄てた親を殺してやろうと心に決めた事。

でもその時頭の中に浮かんだのは、小さい頃自分を育ててくれたお婆ちゃんのコト。
自分を抱きしめてくれたお婆ちゃんのにおい。
このお婆ちゃんの記憶があったため、自分は銃の引き金を引かずにすんだと。


誰だって何かしら世界にむけて銃口をむける夜はあると思います。
その引き金をひかせない「何か」はなんでしょう?




Ⅴ:Telling Lies

黒澤明さんの映画「羅生門」など数々の日本を代表する映画の撮影を担当したことでしられるカメラマン宮川一夫さん。

その宮川さんが撮影を担当した(監督も?)CMが、トリス ウイスキー 「雨と子犬」篇です。

このCMを見ると不思議な懐かしさを覚えます
それは、今でも何処かにあるのかもしれないし、当時から何処にもなかったのかもしれない世界。
見知らぬ街なのに、懐かしい街。
路地裏。炊き上がるご飯の香。懐かしい友達。交し合う「また明日」。駆けてく帰り道。
そんな心の原風景への郷愁なのかもしれません。

さて、出自は全く違うのですが僕に同じような郷愁を抱かせる曲があります。
それは、David Bowieさんの"Telling Lies" です。

僕にはこの曲を聴くたびに頭の中に浮かぶ風景があります。
それは「京都の秋」です。

僕は京都には行ったことはないのですが、それはこの際どうでもいいでしょう。
大切にすべきは「イメージ」です、はい。

曲を聴いてると確かに見えるんです。

嵐山でしょうか?嵐山でしょうね。行ったことないけど。
ま、いったこと「ある」とか「ない」とか些細なことはどうでもいいんです。
いちめんに広がる紅葉。
風に舞う枯葉。
長く続く石段をゆっくりとおりてくる日傘を差した和服の女性。
境内でじゃれる猫。枯葉を焼く煙。
仏像。

僕は本気でこの曲で京都観光のCMを作れば!と妄想したことあります。
もしくは京都を舞台にこの曲のPVを。

歌詞は無視ということで。




Ⅵ:親切

どうでもいいことですが、今までの人生、僕が「○○が好き」と言うと、「それは駄目だ、最低だ、と△△に書いてあったよ」「◇◇が言ってたよ」みたいに半笑いでご丁寧に教えてくれる親切な人がたまにいます。

が、僕は自分で見て、聴いて、読んで、感じて、好きになったので、別に△△に何と書いてあろうが、◇◇が何と言おうが、決して嫌いにはなりません。僕は自分の感性を信じます。当たり前ですね。

もちろん、△△に何と書いてあろうが、◇◇が何と言おうが、自分で見て、聴いて、読んで、感じて、いいと思わなかったら決して好きにはなりません。いいと思えば好きになります。僕は自分の感性を信じます。これまた当たり前ですね。

だいたい△△や◇◇も、そんな持たれかかられ方したら気持ち悪くないのかね。




Ⅶ:Lose Yourself
 
僕はネットではそれなりの節度ある応対はできていると思います。
一応大人ですから。
顔がみえないからこその礼儀はわきまえてるつもりです。

ただ現実の僕はそこまで反社会性を帯びた人格ではないと思いますが、それほど誉められた性格でもありません。

ときたま、ほんとにときたま、その相手が他人だろうが自分だろうがとんでもない破壊衝動に襲われることがあります。
肌が合わない相手には果てしなく嫌な野郎になることがあります。

ただ僕も生身の人間で現実を生きているので、それでもかまわないと思っています。
そうそう人の顔色ばかり伺ってはいられません。

僕は自分を肯定します。





Ⅸ:ニュールンベルグでささやいて

実はですね、と、いうほどのコトではまったくないんですけどね、と、もったいづけつつ、実はですね、僕はここ三年くらいシコシコと幕末・維新期の長崎切支丹の人たちのことを趣味で調べてるんですね。
もちろん図書館とかで関連の書物や資料をちょこちょこ読むくらいなんですけどね。

でも結局、そこがわかるためには当時の長崎の政治・経済・文化のことがわからなきゃいけないし、そこがわかるためには長崎という都市の成り立ちがわからなきゃいけないし、そこがわかるためには徳川幕府の組織の・・・みたいに泥縄式になっちゃって、現状「ありゃりゃりゃりゃ」てな感じなんですね。
そのうち「ビッグバンが正確に理解できていないと、幕末・維新期の長崎切支丹の人達のことは永遠にわからないよ」と言い出しかねない勢いなんですね。

今、僕の目の前には「英吉利人コルラインス儀、利喜太郎下男長之助を蹴付け、又は近辺かつ方江参り、不法およひ候を心憎く存、立出候途中二而~」と、幕末イギリス人殺人事件の判決文?のコピーがあるんですね。
明後日の方向に行きまくりなんですね。

つうても、まあ一応、幕末・維新期の長崎切支丹の人たちのことをここ何年か趣味で調べてるんですね。

だから、もう結構前ですよね、ネットで「沈黙」が映画化されるって記事を読んだ時、僕も「Hou!」と思ったんです。
もちろん僕の知識では「沈黙」が映画化されるということだけに反応し、正直、監督のこととかは「へ~外国の人がやるんだ~」「狐狸庵先生もやるね~」レベルだったんですが。


神は語らない。
神話をつくるのはあくまで人間の意志です。この僕の思いは変わりませんからね。
願望・欲望・絶望・希望、ささやくのは人間の意思です。


さて、どうなるか。



・・・・・・・・・



41.ニュールンベルグでささやいて

これはルースターズの名曲のタイトルです。
で、これはブログをまとめたやつの一番最後の文章のタイトルです。

で、俺は(俺は、に当時すでになっていたな)、OCN cafeに、同じタイトルでもう一度文章を書きました。

それはいつだったかはっきりしません。
東北大震災があって、ツイッターに福島のことを書いて、そのあと浄土平のことを書いて、の、あとだったとおもいます。

で、それを書いている時点でも、まったくしりませんでしたが、そのすぐ後にOCN cafeは閉鎖。
その文章も消えました。
確かその後も少し書いた気がしますが、その文章が、「ときたま☆のりたま」という名前で書いていたブログの実質最終回です。

で、これから、2011年1月から東北大震災発生の前日までの文章をアップしていきます(22回くらいです)。

ただ、この最後の文章は、そこにつながるというよりも、このまとめの最後の"ニュールンベルグでささやいて"につながるので、このまとめの最終回として、再掲します。
(記憶による復元です)



・・・・・・・・・


俺には夢があってね
夢といっても寝てみる夢じゃなくてね


そう"i have a dream"な夢


神じゃない

ささやくのは人間の意思だ

絶望、欲望、希望

ささやくのは人間の意思だ

現実がおかしいのなら直せばいい

俺は現実を変える


あ、そうだ、さらに、ちなーみに

俺がこう何かワードを書いて、それをネットで検索した先には
孫正義のおバカな意思がまっている

そう思ったほうがいいですよ
ま、それもふまえて、特に今の日本のネット界は、何かとしらべたほうが
あいつのウィキペディアなんて嘘しか書いてないし

で、基本的にできあいの曲にそのタイトルをつけただけですが

今やってる朝のさんぽ(に、これからなります)シリーズのテーマソングとして
 
 

これは朝の散歩中ではないですが、見かけたこの看板と






糸井重里さんの"ほぼ日刊イトイ新聞"で連載されている漫画「ブタフィーヌさん」と

Google Translateさんと

の身勝手コラボ
 

"go for a walk with Butaphine"
  



 
ちなみに、デビッドボウイさんの「ワルシャワの幻想」とレッドツェッぺリンさんの「移民の歌」をジグジグスパトニックさんの「ラブミサイルF1-11」でつないだ、みたいな
 

で、ちなーみに、先の文章とかぶりますが、例によって、たまたまです



2.2012年6月13日のさんぽのつづき

 


せっかくなので、平家の落武者に漁業をおしえてもらったのが由来というえびす様にお参りを



 


お参りすんで、さて、もどろう






水族館





で、右からきたわけだけど、帰りは左へ







初夏だねぇ






先のつきあたりを右折





山越えへ





のぼって





のぼって











くだりだ





こちらがわのうみへ





あとは、くだりメインにゆるやかな起伏をくりかえし





でまあ





もどってまいりました






おまけ:この道まっすぐいったつきあたりΘ

↑おそらくこの前に何か前フリがあったとおもうのですが、今おもいだせません
が、グリーンのラインが昔の街道、このあと佐世保要塞化計画まで、これがこの散歩のゆるいテーマになります


つぎのさんぽは

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まえのさんぽは

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