Monday 21 October 2013

ゴッホさんが腹を拳銃で撃って自殺をはかった、それは日本の切腹ではなかろうか?

Ⅰ:パスカル・ボフナーさん著、嘉門安雄さん監修の「ゴッホ」を読みました

ゴッホさんの生涯、とても面白く(って言い方は何となく失礼だけど)、一気に読んじゃいました。

つうても、今回僕が読んだ、触れた「ゴッホの生涯」は、著者であるパスカル・ボフナーさんが残された資料や証言をもとに再構築された、パスカルさんが思考する「ゴッホの生涯」であり、それを日本語に訳した「ゴッホの生涯」であり、また本の分量の関係上、ある程度監修要約された「ゴッホの生涯」であり、真の意味でのゴッホさんの「ゴッホの生涯」に僕が触れたわけではまったくないんでしょうが。

まあ、これ言い出したら全部そうなっちゃいますよね。

ほんとうはゴッホさんが残した作品をみるだけで、その真の意味での「ゴッホの生涯」を感じることが、触れることができる感性が僕にあればいいんですけどね。

つうても、そんなこといっても、どこまでいっても、ゴッホさんでなくても、誰であっても、その相手のことを真に正確に理解することは結局は無理で、人と人との間には何かしらの誤解は常に存在するものなのかもしれませんが。


でも、ちょっと強引だけど、何から何まで相手のことが正確に理解できる、完全に重なる、誤解も何も無いという関係を人が人との間に作れるのなら、そうであるのなら、別に何十億も人が別人格に別れている必要はないわけで、独りでいいわけで、相手のことがわからないからこそ、その相手のことをもっとわかりたいと思うわけで、僕はわかりたいと思うわけで、その先に”the beautiful one”があるのならみてみたいと思うわけで



今は先に進みましょう。



Ⅱ:要約ではある(みたいだ)けれど

この本に付録?としてついている、ゴッホさんについてジョルジュ・バタイユさんが論じてる文章「ファン・ゴッホ、プロメテウス」を読むと、遠藤周作さんが"人生の同伴者"とお書きになっているナザレのイエス、後のキリストさんのイメージと重なる感じが、僕にはちょっとありました。

え~と、ニーチェさんが「神は死んだ」つうたのは科学文明勃興いよいよ著しい19世紀後半でしたかね?
んで、ジョルジュ・バタイユさんのこれ「ファン・ゴッホ、プロメテウス」はだいたい1940年、20世紀中頃くらい?

人はやっぱり、個人でも、集団でも、自分の心の欠落感を埋めるために、それが何であれ、神なき世界にも神を求めるものなのでしょうかね。

ユングさんが神は19世紀に本当に殺されたわけではなく、人々(と言っても、それこそ意識としては"西洋に属する人々"でしょうか?東洋はユングさんの視界に入っていたんですかね?)の深層心理の奥深くに共同幻想として眠っていて、きっかけがあると復讐や破壊や暴虐の荒ぶる神として目覚めるのだ!みたいなこと言ったのも「ハイル、ヒットラー!」なこの頃でしたでしょうか?もう少し前でしたでしょうか?



 
Ⅲ:「からすのいる麦畑」(1890年7月)

と、いいますか、ゴッホさんの時代はまだ神は生きていましたか?

と、いいますか、黄金に沈む麦畑の彼方に永遠に去った彼が殺したのでしょうか?

彼が人々を堕落させ、一枚の絵に日本円で58億円という値をつけさせたのでしょうか?

とびかうカラスたちと彼は契約を交わしたのでしょうか?


と、勢いで書いてみる。




Ⅳ:小林秀雄さんの「ゴッホの手紙」を読む

「書けない感動などというものは、皆嘘である」
「ただ逆上したにすぎない」

ん?例えば「突如、言葉にならない感動に襲われ・・・」
これ、「感動」が「言葉にならない」と、ちゃんと書いてますよね。

は、さておき、ところで「書く」と「描く」。

現在の標準日本語(その他はよくわかりません)で、読みが同じ「かく」なのは、「かく」という行為が同じだから?それとも、何も無いトコに「か」いて何かを表すという結果が同じだから?

で、どちらにしろ、なぜそれが「かく」なのだ?



「愛情のない批判者ほど間違う者はない」
「(近代の日本文化が)翻訳文化などという脆弱な言葉は、凡庸な文明批評家の脆弱な精神のなかに、うまく納まっていればそれでよいとさえ思われてくる」



Ⅴ:描く

ゴッホさんの手紙の中に

『くどいようだが、ただ動作だけを狙って動作を描きたいと希った画家は少ないのだ』
『繰り返して言うが、動作中の農夫を描くこと、これが、本質的に現代的な人物画だ』

てのがありました。

つうてもオランダ生まれのゴッホさん、当たり前に日本語でこの手紙を書いたわけはなく、原文を日本語に翻訳するときにその言葉に対応するものとして「描く」という言葉を、文字を、そこにあてたわけではありますが。

あちらの言葉(フランス語を使われたんですかね?)での「書く」と「描く」は別に同じ「かく」ではないでしょうしね。
それに、これだって、"動作"それ自体が「描く」なのか、"動作"のみを「描く」ことによって表現されたものが「描く」なのかっつうことは、僕にはもう何がなにやら・・・

(注:現在2013/10/21、この文章何が言いたいのか、読み返してみて自分でもわかりません)



Ⅵ:書く

『ねえ、君はどう思う。僕ぐらい変人(エキセントリック)から遠い男はないのだよ。ギリシアの彫像、ミレーの百姓、オランダの大家たちの肖像、クールベやドガの女の裸体、そういうものの静かな正しい完璧性となると、まるで話は違ってくるのだ。そういうものに比べれば、日本人のような原始人の絵は、まるでペンで書いた文字のように見える。それは面白いと言えばじつに面白い、が完全なもの、完璧なものは、面白いどころではなく、無限性を感知させる』

だそうです。
でも、そうであっても、この人はすでにある完全なもの、完璧なものには背をむけられましたかね?



Ⅶ:小林秀雄さん自身がお書きになった、そこらへんのゴッホさんに対するお考えを、身勝手に前後の脈絡なく本から抜き出すと

「彼は、原始人の率直と単純さとで、錯綜した現代を乗り切ろうとする。」
「彼の生活態度の裡(うち)には、流行のさまざまな意匠を透過して働く、本質的な時代感覚があった。」
「絵画の命の新しい変化を、感じ取った。」
「彼の裡にあってこれに応じたものは、けっして単なる原始人の素朴ではなかった。」
「それは彼の無私の精神であった。」
「批評家の無私ではない。創造の源泉として常に信じられてきた無私である。」
「無私な創造者は、公平な批評家となることはできない。」
「普遍的なもの究極的なものに憑かれた精神は、そういう精神が照らし出すものしか問題にしていない。」
「形而上学に興味を持ってはいなかったし、キリスト教には早くから幻滅を感じていた」

というトコでしょうか。



Ⅷ:牧師を志し、そして挫折した、ゴッホさんの独白

『キリスト一人だ、あらゆる哲学者たち、魔術師たちその他の中で、キリスト一人だ、永遠の生と、無限の時と、不死こそ確実である、と断言し、平安と献身との必要、その存在理由を確言したのは』
『芸術家中の最大の芸術家として、大理石も粘土も色彩も軽蔑して、生きた身体で働いた』
『彼は生きた人間たちを作った』

つまりゴッホさんは”キリスト教”と”キリスト”を分離し、そして”キリスト”に身をよせ・・・
いや、身をよせたかったのでしょう。本当に。だって彼の人生はくるおしいまでに”キリスト”を求めている。でも、できなかった。

彼は、彼の魂をやすめてくれる(彼にとって)唯一絶対の存在”キリスト”が軽蔑した(と本人が考える)「色彩」に永遠の生と、無限の時と、不死を見、そして魂を燃やしつくした。



Ⅸ:描くを書く

『画家を、ただ画家として取り上げれば、死んで、埋められて、次の時代へ、またその次の時代へ、仕事で語りかける。それだけか、それともその他に何かがあるか。画家の一生で死はいちばん辛いことではないかもしれぬ』
『僕は自問するのだ、なぜ空のあの光った点々は、地図の黒い点々のように近づけないものなのか、と。タラスコンとかルーアンに行くのに汽車に乗るなら、星に行くには死に乗ればよいではないか』

でも天空の点々は、僕らとは違う時間の中でたえず近づき、離れ、お互いの距離を計りかね困惑している。

彼は何処かにたどり着けたのだろうか。



Ⅹ:弟であり、父であり、母であり、その手紙のほとんどの宛先人であり、彼の天才の唯一の理解者だったテオの告白

『あいつは気が変だ、と皆が言う。そんなことは、僕にはなんでもないが、母親には堪らぬことです。彼の話しぶりには、相手にひどく好かれるかあるいはひどく嫌われるか、どちらかだというような何かがある。彼の周囲には、いつも、彼に同情する人々とともに敵があった。』
『自然とかルーランのようなごく単純な人間とかを除いては、彼には静かに暮らしていける道連れがいない。彼が歩いていくところは、どこでも、彼の足跡がつくからだ。』


ゴッホさんの死から半年もたたないうちに、彼の人生を支え続けたテオさんも後を追うように亡くなります。

遠藤周作さんが「わたしが・棄てた・女」でお書きになっているように”ぼくらの人生をたった一度でも横切るものは、そこに消すことのできぬ痕跡を残す”のなら”人間は他人の人生に痕跡を残さずに交わることはできない”のなら、そして”寂しさは、その痕跡からくる”のなら、テオさんは亡くなる前にはっきりと兄の魂の不滅を確信していたでしょう。



XI:かく

『君に書き送りたいことは山ほどあるが、書こうとすると、書きたい欲望が全く僕を去ってしまう、そして僕は書いても無駄だと感じてしまう』
『純金の光を漲(みなぎ)らす太陽の下に、白昼、死はおのれの道を進んでいく』
『これを描いている僕の気持ちの静けさは、どうやらあまり大きすぎるようだ』


1890年7月27日 フィンセント・ファン・ゴッホ、ピストル自殺未遂


同29日 死去



XII:ふたたびテオ

『この悲しみをどう書いたらいいかわかりません。どこに慰めを見付けたらいいかわかりません。この悲しみは続くでしょう、私の生きているかぎりきっと忘れることができますまい。ただ一つ言えることは、彼は、彼が望んでいた休息を、今は得たということです。』

もう周知のことなんでしょうが、僕は小林さんの一文を読むまでは、テオさんの死因は単純に心労か何かだと思っていました。

「兄の自殺という荷は、テオには重すぎた。彼はオランダに帰省するとまもなく発狂し、ユトレヒトの精神病院で翌年の一月死んだ」

兄弟の希望も野心も死んだ。

しかし、兄弟の死後、世界が発見し、評価し、不滅となった永遠の"ゴッホ"とは一切無関係に、この地べたに最後まではいつくばっていた兄弟の一生は幸福だった・・・か、どうかは僕にはまったくわからないけど、少なくともよく生き、よく死んだ、それは間違いないでしょう。



0:そういえば

これも何かの縁?
てなトコで、遠藤順子さん(聞き手・鈴木秀子さん)の「夫・遠藤周作を語る」をまったりと読んでますが、小林秀雄さんて遠藤さんの初期「イエスの生涯」あたりからの遠藤さんのよき理解者だったんですね。「ゴッホの手紙」を読んだ今となっては何となくわかります。


さてここで「夫・遠藤周作を語る」から例によって無責任に書き写そう


-先生は、自分が正しくて相手は悪いという態度に対して、ひじょうに厳しかったですね。

遠藤 『裁くのが嫌いな人でしたから。人を裁く人間が大嫌いで。』

-自分を正しいと言っている人は、そう言う自分の中に悪が潜むことに気づかない。

遠藤 『絶対の善も絶対の悪もない、とよく申しておりましたね。』


でも、世代的に遠藤さんが小林さんの影響を受けた、つうよりも、そもそもお互いの中に自分をみつけられてたんですかね。

どちらか一方がではなく、互いが。
彼は我だと。
根っ子のトコで。

No comments:

Post a Comment