Wednesday 23 October 2013

怪獣、ロボット、オバケ、が好きです

Ⅰ:rock'n'roll suicide (you're not alone)

みなさんも、たまに人にこう聞かれる事ないですか?
「何かおすすめない?」と
映画であったり、テレビ番組であったり、小説であったり...色々で。

まあそれが古くからの友人の場合はいいのです。どうとでも答えられます。

問題は、まだ友達ともいえない、知り合って間もない人の場合です。

そんな人と何かのはずみで二人きりになり、無言が続き、ちょっと気まずい雰囲気になった時、とりあえず場をなごませる為にも映画の話とかしたら思いのほかウマがあい、話も盛り上がりめでたしめでたし・・・なんて割とある話だと思います。

そう、ここまではいいのです。

問題はその後。

必殺の一言。

「ねえ、何かおすすめの映画ってない?」

はいきた!光ったよ!今、君の目の奥がキラッと光ったよ!
実は光ってなくても脳内補正で光ったことにしちゃうよ!

この野郎、俺がそれにどう答えるかで俺という人間を測るつもりだな?

ちゅくしょう、なめられてたまるか!

さてどう答えるか?素直に「花より団子」が面白かったと答えるか?いやいやそれはない。

菩提樹の下で悟りを啓いたお釈迦さまから那由他の320京乗くらい離れた俺には、そう答えた時に相手の口元に浮かぶであろう微苦笑にはとても耐えられない。
だいたい微苦笑浮かべてなくても脳内補正で浮かべたことにしちゃうしな!

こんな屈辱、却下じゃ。

では、どうする?

「戦艦ポチョムキン」とかどうだ?
おいおい、俺も随分前に見たきり内容なんか覚えてないぞ。第一、相手引かないか?いや、それよりも、もし相手がこの映画を見てたらどうする?日本の映画好きは怖いぞ。「お前そんなん観んなよ!」てのまで平気で観まくってるぞ。話にのってきたらどうする?内容知らんことばれたらどうする?

「いやぁ~この映画はブルジョアとプロレタリアの真の対決の世紀となるであろう21世紀にこそ評価されるべき映画だね。」

とか

わけのわからんことを呪文のように言って煙に巻くか?
それで巻けるか?あれ?相手の口元に微苦笑が・・・

こんな屈辱、却下じゃ。

では、どうする?

こまった時の「ブレードランナー」か?
いや、これはミーハーだと思われるだけだろ?
却下じゃ。

では、どうする、どうする、どうする・・・・・・・


「別におすすめってないよね。だって好みは人それぞれだしさ」




Ⅱ:AKIRA

大友克洋さんの漫画「アキラ」。
え~これは「アキラ」を読んだことない人には何がなにやらな話です。
で、一応、念のため、以下の話は僕が勝手に思っていることです。


この漫画は1986年、東京の中心で謎の巨大な爆発が起こるトコから始まります。
その爆発は非常に巨大で関東平野の地形を変えてしまうほど。
そして、その爆発を引き金として起こった第三次世界大戦を経過した三十数年後の世界、東京湾に新しく建設された人工都市ネオ東京から物語はスタートします。

そうなんです。
いろいろなオハナシの中でナイーヴに回避されていたことをこの漫画は最初にやっているんです。
この漫画の世界は「天皇」がいない世界なんです。
当たり前ですが、話の中で何の明言もなされていませんけど。

ではこの漫画は、そんな「天皇」がいない世界をシミュレートしたオハナシなのか?
いえいえ、「天皇」はちゃんといます。
僕は超個人的にこの漫画の裏テーマは「天皇・制」だと思っていました。
「天皇・制」とあやふやにしたのは、僕の中でこの言葉の定義を消化しきれていないためです。


ところで

しつこいですが、これはあくまでフィクションの中の架空の世界。
を、僕が勝手に解釈したもの。現実の現憲法下での象徴天皇と結び付けないでください。

三島由紀夫さんが言うところの「天皇」と「昭和天皇」はまったくの「イコール」ではない!と同じ感じです、たぶん。

で、話を戻しまして

そうなんです。この漫画の中には「天皇・制」はちゃんと居(在)るんです。

アキラ・大覚アキラ様として。

僕は確実にアキラとは「天皇・制」のメタファーだと思います。


アキラ。1986年の謎の巨大爆発を引き起こした者。超絶的な破壊能力をもった超能力者。
コールドスリープから目覚めた後、その絶対的な能力により、またそれを利用しようという扇動者により、民衆に神格化された存在。

しかし実際のアキラは喋りもせず、無表情で、いっさい自分の感情を表に出さない子供。
ただ周りの人間のいいように扱われる存在。かつがれる者。

その内面に世界を破滅させる強大な感情と力を秘めたまま・・・


で、消化しきれていない部分


僕は自分で「天皇・制」のメタファーだとはいうもののいつのかね?
大政奉還以降80年、大日本帝国崩壊までかね?帝国憲法下でのことかね?現憲法下での「天皇・制」のもつ内なる可能性かね?(漫画連載時期は昭和)、万葉な古代はどうかね?各幕府の時期も忘れずにの

そもそも「天皇」の意味性に歴史の経過による変容はあるのかね?ないのかね?変容があるとして、それは簡単にくぎれるものなのかね?もっと、言葉は悪いけどヌエ的なもんじゃないのかね?

そもそも「天皇」に「制」をつけて「天皇制」。これで万事解決。なんか語った気になっちゃうのは思考停止も甚だしくないかね?

"語った気になっちゃうのは思考停止も甚だしくないかね?"

と書いてなんか語った気になっちゃうのこそ思考停止も甚だしくないかね?


とまあ、ここまで長々と書いてきましたが、アキラ様、最終的にはその力を利用しようつう連中によってでっち上げられた、"大東京帝国"の「元首」に祭り上げられたわけだから、考えりゃ「まんま」なんですよね。

みんなわざわざ言わないだけで、そう思っている人も多いんでしょうね。

あと僕はこの文章を書くにあたって「アキラ」を読み返したりはしてないので、漫画の中のどこかに「天皇」の現在に関する記述があったら、これまでの話は全部"無し"ってことで。

といっても、例えば、これも記憶たよりであやふやに書いちゃうけど、村上龍さんの小説「五分後の世界」の”世界”みたいに、日本は治安の確保が難しくなってしまったので、皇室の方々はスイス(だったかな?)で暮らしている、みたいな設定でも無理なく成り立つ話だとは思うけど。
つまり大覚アキラを「天皇・制」のメタファーにするためには、その東京という名のつく"場"が"空白"であればいいだけなので。


ちなみに、このお話には「アキラ」に匹敵する超能力の持ち主として「鉄雄」という少年もでてきます。
「アキラ」をかつぎ大東京帝国をつくった男です。

この鉄雄君、僕の主観全開でセックスピストルズというバンドのジョニーロットンというボーカルに(髪型、でこっぱちメインで)似てます。

このバンドの代表曲は「Anarchy in the UK」

この漫画が週刊誌に連載開始されたのは1982年。まだまだ日本のアンダーグラウンド音楽シーンはパンク・ニューウエーヴが席巻していたと思います。


だから凄い昔、「この漫画って、もしもアナーキスト、もしくはパンクスが国家を作ったら?みたいなトコもあったのかなぁ」と、へらへら考えたこともありました。



おお!天皇制の話をしてたらパンクにたどり着いた。



Ⅲ:今がある種旬ですか?

宇宙戦艦ヤマト(アニメ)の無敵さの真の秘密は、波動砲などの強力な武器や、乗務員の能力の高さ、搭載機の性能などにあるわけではない、その脅威的な自己復元能力にあるのだ!
「ヤマト」を観た事ある人ならもうご存知でしょう、ガミラスとの戦闘でどれだけの致命的な被害を受けても場面が変われば何事もなかったかのようにすべて修復されている。ガミラス将兵が「せめて一矢報いよう」と自分の命をかけて与えた損害も何事もなかったかのようにすべて修復されている。戦闘中に破壊されたはずの砲塔が、同じ戦闘中に何事もなかったかのように修復され火を吹いていたりする気もする。
ガミラス星での最終決戦で、ヤマトは勝利するももうボロボロ。ありとあらゆる部位が徹底的に破壊され、ヤマトの艦低にぶら下がるようについている第三艦橋は、溶けてもげ落ちてたりもする。
しかし、ほんの数十分の話ではないのだろうか、ガミラス星を離れ、お隣のイスカンダル星に着水するころには、ガミラス人民の存亡をかけた攻撃を嘲笑うかのように、やっぱり何事もなかったかのようにすべて修復されている。艦低の第三艦橋もちゃんと生えてきている。

そう「宇宙戦艦ヤマト」とは実は当時の技術の粋を集めた単なる兵器ではなく、トカゲも真っ青な脅威の自己復元能力をもった高位生命体だったのだ!

みたいな話を書こうかな~と思ってたんですよ。(書いとるけど)

でも録画しといた「立花隆・思索ドキュメント・がん・生と死の謎に挑む」を観たわけさ。
立花隆さんは三年前に自身の身体にガンが発見されて以来、徹底的にガンの取材をされています。
この番組はその立花さんの取材を追ったドキュメントです。

その中に京都大学の山中伸弥教授のお話がありました。さまざまな臓器を再生するといわれているiPS細胞を世界で初めてつくりだされた方です。
このiPS細胞はイモリなどに備わっている再生能力と近いものだとか。
しかしiPS細胞は正常な遺伝子に四つの遺伝子を組み込んでつくられたもので、そのうちの二つはガン遺伝子、そしてこのiPS細胞は身体で育つうちにガン化するものが多数存在すると。
人間に生を与えるiPS細胞と死を与えるガン細胞は非常によく似ているもので、山中さんは「人間にイモリのような再生能力が備わっていないのはガンを避けるための進化の過程での選択の結果ではないか」と考えられています。

「再生というのはガンになるのと紙一重」
「高い再生能力を持っているということは同時にガンができやすいということなんじゃないかな」と。


あれ?再生能力の獲得は退化か?退化という進化もあるのか?
iPS細胞。個体自身の能力として再生能力を持つのではなくてもそれは「種」としての時間経過の中では進化の内なのか?それともアカシックレコードはずれちゃうのか?神さま拗ねちゃわないか?

でも石だか木だか火だか水だか知りませんが、人類が初めて道具をつかうようになったことと、iPS細胞は意味的には何も変わらないのかな?


え~「宇宙戦艦ヤマト」のラストシーンで、ヤマトの総乗組員数114名。生存者67名。戦没者47名。というテロップが出ますがそんなんですむか?もっと戦死しとるような・・・

そう「宇宙戦艦ヤマト」の乗務員のほとんどは実は人間ではなく、当時の技術の粋を集めたレプリカントだったのだ!

と、言い始めるか。




Ⅳ:あのう

これまたよく言われてることなんでしょうけど、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を観てたんです。
で、映画の中にコンビニで主人公達が買い物をしている横で「主人が私と子供だけでも疎開しろっていうんです」みたいな話を女性達がしているシーンがあるんです。
これって「ゴジラ」とかあのへん(昭和30年前後)の怪獣映画へのオマージュですかね。



Ⅴ:前世

まじめに、ふまじめに、頼んでもないのに勝手に、皆さんも人生で一度は「うらない」をする(した)ことがあると思います。

そういう「うらない」の中に、あなたの前世は~みたいのがありますね。

さて、ここからフワフワTIMEです。

ちょこっとネットで世界の人口の推移を調べました。

紀元前7000~600年 500万~1000万人
西暦元年 2億人~4億人
西暦1800年    8億人~11億人
西暦1900年    15.5億人~17.6億人
西暦1960年    30億人
西暦2000年    60億人    
西暦2050年    93億人(推定)

だそうです。

ま、生まれ変わりがあるとしてですよ
僕は数字弱いんですが、こんなに急激に人口増えて、生まれ変わる魂足ります?

「リトルブッダ」って映画では一人の魂が三人の子供たちに生まれ変わってましたが。

それこそ西暦二千年代も後半戦に入ると、アナタの前世は・・・

「ひかりごけです」とか
「ゾウリムシです」とか
「ジャポニカ学習帳です」とか
「野に咲く蓮華草です」など(僕これ希望)

そうならないと魂足りなくないですかね?


ましてや「人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになって半世紀がすぎる」くらい人口爆発しちゃうと、もう生まれ変わりを司るだろう神様も怒っちゃって、スペースコロニーや遊星爆弾を地球に落として無理やり人口調整したり

死海文書つうフリーソフトを使って、人類補完計画なんて起こさせて、人類を一なる物に変換して、人類の運命を司る仕事放棄しちゃったり...




Ⅵ:transnationalspirit

もう40年も前に亡くなられた方なんですけどね、三島由紀夫さんという小説家の方がいたんです。

これまでも、これからも、夏目漱石さんや芥川龍之介さん、それに樋口一葉さんらと共に、普通に国語の授業とかで名前が出てくる方だと思います。

ただ、三島由紀夫さんはその小説家としてのたぐいまれな文章技術とは別に、世の中に対する考え方にもかなり独自なものがある方だったんですね。
だから三島由紀夫さんは、ほんとうにあらゆる意味で素晴らしい才能をもった小説家なんですが、そこのトコを”臭い”と感じて、お書きになった小説の内容以前の段階で毛嫌いする人も結構いるんです。全否定する人も結構います。

ん~

これはどんな感じかな~

あっ!そうそう「レバニラ炒め」ってありますよね。
非常に美味しい上に栄養も豊富な、ほんと言う事ない料理です。
でも僕はあんまり食べることないんです。実は僕はレバーが苦手で、正直嫌いで、「レバニラ炒め」がほんとうに素晴らしい、みんなに愛されている、栄養満点の料理だってことは頭ではわかっているんですが、どうしても手が伸びないんです。さすがに料理を全否定はしませんけど・・・

ん~こんな感じかな?

ちょっと違うかな?

え?三島由紀夫氏とレバニラ炒めを一緒にするな?
馬鹿言っちゃいけないな。今後、遠い未来”日本”という国がどうなってるかは一切の予断を許さないけど、”日本”という文化体系が翻訳や誤解であっても残っているかぎり、それは永遠の命を持つだろうという意味において、三島由紀夫氏とレバニラ炒めは僕の中で等価です。

ちなみに僕的には、三島由紀夫さんは”世の中に対する考え方”つうトコはひとまず横に置いといて、単純に作り話、本当に素敵な嘘をついてくれるってトコで好きです。

ま、つうても、僕は三島さんのお作をそんなにたくさん読んだわけではありません。
それに三島さんは作品のモティーフを現実社会に求めるコトも多く、実際にプライバシーの侵害で(たしか)訴えられたコトもあるはず。

が、そうであっても、やっぱり僕はその作品は現実とはまったく無関係の、あくまで三島さんが何とか己の中にある「美」を完璧に表現して、そしてそれをこの現実世界に表出させようとして格闘したモノだと思います。「醜」を書くことも、結局は「美」を書くことでしょう?輪郭をはっきりさせることでしょう?
もちろんモティーフにされた方はたまったもんじゃないでしょうが・・・


ありゃりゃ?前口上が長くなっちゃった。しょうがない本題は駆け足で。
その三島さんがお書きになった「文章読本」つうのがあるんですね。

んで、その中で

「皆さんに、文学作品のなかをゆっくり歩いてほしいと申します」

「もちろん駆ければ十冊の本が読めるところが、歩けば一冊の本しか読めないかもしれません。しかし歩くことによって、十冊の本で得られないものが、一冊の本から得られるのであります」

「小説はそのなかで自動車でドライブをするとき、テーマの展開と筋の展開の軌跡にすぎません。しかし歩いていくときに、これらは言葉の織物であることを露呈します」

・・・・う~ん、ですね。

いやいや、僕は基本的に読書だけは「サーキットの狼」ですからね。BUI!BUI!すっ飛ばしますからね。
つうか、このご本を読んだのは結構前なんですが、その時もこの「ゆっくり歩いてほしい」という文章を法定速度200キロオーバーくらいで読んじゃいましたからね。そりゃ、後には何にも残りませんよ。

この三島さんの言葉は本当にその通りだと思います。実は僕の内心の引け目にもなっています。

ま、ただですよ、僕は一応一回読めばかなり不正確ではありますが、わりとその内容が頭に残るんですね。んで、こうしてそれが必要になったとき、あらためてそれをひっぱりだしてくることはできるんですね。大概「あれ?どこ行った?」となりますけどね。


そうそう、谷崎潤一郎さんの「文章読本」とかも最近ひっぱりだして読んだんです。
もちろん、ちっとは文章上手くなるかな?と、おもいっきりスケベ心で読んだんです。

でも当たり前に何も変わりませんね。あんまり関係ない。
まあ、それは感受するこちらの能力不足が原因なんでしょうけど。


どちらにしろやっぱり僕は僕だし、僕が僕であるかぎり、僕は僕の文章しか書けないし。
もし僕が死んで、身体を無くして魂だけになって、んで「ちょっとあっちの魂足りないから悪いけど生まれ変わってくれない?」と言われて現世に再登板となっても、魂が僕であるかぎり記憶をリセットしてもそれは僕だし、魂に国境は無いし、時間は無いし、何もかわらないし。


で、急転直下、やっぱり、どんなに拙くても、自分の言葉で書いたほうがいいよね。相手に届くよね。これ不思議。



Ⅶ:めぐりあい

「おかえり」

と言ってくれる人がいるから人は生きていける。

か、どうかは定かではないですが、人はそれぞれですし、ま、悪いもんではないと重い升。なんじゃこりゃ。思います。

そういえば昔「僕にはまだ帰れるところがあるんだ。こんなにうれしいことはない」とのたまわって、人はわかりあえるという希望とともに、日本全国のちびっ子どもの胸を熱くさせた無敵の大量殺戮者がいました。僕も熱くしました(機動戦士ガンダムの話ね)。

あ、ちなみにロボット・怪獣・おばけ好きは僕の一生モンの病気です。

で、ただちょっと、子供心にも「主人公達に殺された沢山の人達にも帰る場所はあったんじゃないのかな?」と思っちゃうことはありました。
「おかえり」と言ってくれる人がいたのではなかろうかと。
もちろん他のアニメでも。

でも「ロボットアニメで人が死んではいけない」みたいに、やみくもな規制はやめようね。
すべてのちびっ子は、か、どうかは定かではないですが、人はそれぞれですし、まあほとんどのちびっ子は現実と空想の区別はついてますよね。

逆に奇麗事のみで構成された、ほんとに素晴らしすぎる内容のアニメばかりをちびっ子にみせたところで、すべてのちびっ子は、か、どうかは定かではないですが、人はそれぞれですし、まあほとんどのちびっ子は現実と空想の区別はついてますよね。



おかえり

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