Wednesday 27 November 2013

夢をみた




いうわけで




Ⅰ:倜儻不羈

あともう少し時間が経過すれば今年(2009)も残す所あと三日です。
三日といえば三日の一倍じゃないですか。まったく時間の経過はあなどれません。

さて今日の昼下がりくらいでしたかね、外出中の僕の前を素敵な老婦人が里帰りをした娘のお孫さん(無責任想像)をつれて散歩されてたんです。
んでもって向こうから割と大型の犬をつれて散歩中のこれまた素敵な老夫婦がいらしたんですが、両者はお知り合いらしく道の途中で立ち止まり「あら?かわいいお孫さんね(無責任想像)」みたいな感じでお喋りがはじまりました。

で、僕は、遊歩道だし、割と道広めだし、僕に気づくと脇によけてくれたし、てことで、すれ違いざまにお互い軽く笑顔で会釈して通りましたが、気になったのはそこではないんです。

あの男の子、何歳くらいだろう?3~4歳くらいかな?
もしかしたら自分の家でも大型犬飼ってて慣れてるのかもしれないけど、自分の背丈の倍はあろうかという異生物に笑顔で寄っていき手でペタペタ、犬のほうから顔を近づけてきても笑顔でナデナデ。

何気にあれって凄くね。もちろん小さい頃は全てのモノが大きいのは当たり前で、世界は見上げるモノで、そんなモンだと思っていて、たぶん僕も幼児の頃はそうだったんだろうけど、やっぱり凄くね。

例によって馬鹿話だけど、今の僕の倍の背丈といったらざっくり3m50cm。どんだけ邪気がなく尻尾フリフリだったとしても、僕は建物の二階くらいの高さはあろうかという異生物にヒョコヒョコよってこられたら失禁しますよ。顔をヌッと近づけられたら失神しますよ。

幼児凄え。僕の中にも棲んでいたろうあの倜儻不羈な魂は何処いった?
そんなモンいるわけない?いないモン考えてもしょうがない?常識が邪魔なのか?経験が邪魔なのか?


んでも、僕が小学校に入るくらいの頃だけど、アリとか虫が巨大化して人間を襲うって映画観てムチャ怖かったから、流石に現在進行形の幼児もアリだのゴキだの蜘蛛だのが巨大化したら怖いだろう。

ん?これは話がズレてるか?
あくまで幼児にとって犬の中にはデカイのもいるってのは経験上の常識で、虫はやっぱり虫だもんな。
比率を変えてはいけまへんな。





Ⅱ:続

さて、いよいよ今年も残す所あと三日です。
三日といえば三分の千四百四十倍、三秒の八万六千四百倍じゃないですか。まったく時間の経過はCross Road Bluesです。

で、考えてみたら今の自分の背丈の倍っつうたら象くらいですかね?

ん~別に象を間近でみても失禁も失神もしないなぁ。
やっぱり象とはそういうモンだと頭の中に常識としてインプットされていたら無問題なのだな。

つうてもそれはあくまでも動物園で柵や堀越しに見た場合の話で、外出中の昼下がりに向こうから「リンゴちょうだい」とノラ象や飼い象が邪気なく尻尾フリフリ鼻パオ~ンでドスコイとやって来たらやっぱり僕は一目散に逃げるかな。もしかしたら身体固まっちゃって失禁・失神コースになっちゃうかもしれないな。

あ、そういえばタイ国でしたっけ?どこでしたっけ?そこらへんの街中を飼い象が(ノラ象も?)普通に歩いているのは。
おや?異国だったら結構象が傍に寄ってきても大丈夫な気がするな。
だって実際に見たことないけれどソコではそんなモンなんだろうと頭の中にインプットされているからね。
やっぱり東京の街中でそんなコトあるわけないっつう僕の中の既成概念が失禁・失神コースさせてしまうのだろうな。




Ⅲ:・・・

メールアドレスなんですけどね。

まあ皆が皆ってわけじゃないだろうけど、携帯であったりPCであったり、結構一人でいくつかアドレスを持ってますよね。僕も何個かメルアドを取得して、用途や重要性、もちろんセキュリティーも考慮して使い分けています。←OCNだけでメルアド結構取得できますよね

で、そうすると普段はほとんど使わないメルアドってでてきますよね、それこそ半年近く放置してしまっているような。
で、今日ちょっとそこに収納されている過去メールの内容を確認しなきゃいけない用事ができたので、久々にアクセスすることに。

が、できん。ログインできん。
ええ、あたりまえに期限切れでログアウトしています。
あれ?パスワードなんだったっけかな?

基本的にメルアドに限らずパスワードは四種類を使い分け・並びの入れ替えで使っていますが、たま~に全く脈絡のない数字をパスワード登録してしまうこともあるんです。
これは「あんまり重要な用件に使うメルアドじゃないから適当でいいや」とやってしまうんですが、よくよく考えたら、よくよく考えんでも"逆"じゃん、たいしたことに使わないからこそ(わりと)単純なパスワードでいいんじゃん。
全然使ってないから完全にパスワード忘れてしまった。それにパスワード変更に必要なモノも消しちゃったみたい。
いろいろ試してみるも「パスワードが違います」のつれないお返事が返ってくるのみ。
現状は完全に悪意を持った第三者が他人のメールに不正アクセスしようと頑張ってる状態です。


・・・から一時間が経過しまして、無事ログインできました。
うっすらと記憶にあったパスワードを書いておいたメモ帳を無事発見することができました。
今から色々ひっくり返したのを片付けなきゃいけないかと思うとちょっと青ですが、まあいいでしょう。
もしログインできなかったらあることが赤になっちゃうトコだったんで。

さて、今のうちにパスワードを(僕にとって)簡単なのに変えときましょうかね。
だって、半年くらい後に「あれ?パスワードなんだったっけかな?」と言ってる僕の幻影がすでに見えてますからね。



Ⅳ:最近は(僕は)あんまりみかけません

普段生活している中で、あんまり和服を着てる方ってみかけませんよね。特に男性は。
まあ外ではスーツだけど家の中での普段着は和服ですよっつう方もお見かけしません。
でも戦前の写真を見ると結構皆さん和服に帽子ですよね。
この普段着も洋服ってのはどのへんでそうなったんですかね。やっぱり東京オリンピック前後くらいですかね。

ん~サザエさんのアニメが開始された昭和44年くらいはまだ普段着は和服の磯野波平スタイルは一般的だったのかな?←でも僕が子供の頃(70年代生まれ)にはすでに磯野波平スタイルにはノスタルジックな香りが漂っていた気がします

ん~それにマスオさんの普段着はたぶん放送最初から洋服だったろうしなぁ。
つうか昭和44年つうたら1969年、The Beatlesの「Abbey Road」が発売された年。
この極東の島国も若い人の普段着はそりゃ洋服ですよね。

ん?サザエさんの漫画開始は戦後すぐだけど、その中でもマスオさんの普段着は洋服なのかな?もしや和服か?
あれかな?ズボンにランニングシャツとかなのかな?←冬は半纏?


まあ、人間便利で新しい方にひかれてしまうのはしょうがない。

でも、ある地点で世代間の生活様式に断絶がおこり、「何か」が一度失われると、それがどんなにささやかなモノでもそれをもう一度取り戻すのは容易なことではないですよね。

んがしかし、最近(200912~201001)東京の街中では普段着に自分でアレンジした和服を着ている若い人もたまにみかけます。
足元ブーツも悪くないですが、下駄をカランコロンと鳴らして歩くさまはいなせで格好いいです。

つうてもこれは別に昔の生活様式の復活ってわけではないでしょうけど。それは、また新しい「何か」で。
ま、一方向だけではなく多様性が出てくるのはいいことです。

よね。




Ⅴ;惑星直列

まあ落ち着け、とりあえずみかんでも食いねえ。

しかしなんだねぇ、小さい頃はみかんの果皮をむいたあと、両手で割って一房(っていいかたでいいのかな?)ずつ口に入れては果肉だけを食べて、包んでる皮は苦くて食べれないと「ペッ」と吐き出してたけど、何時の頃からか皮も一緒に、なに小さいみかんなら丸々一個を口に放り込んで食べるようになったねぇ。

あの頃、僕はそれが何か大人に近づいた証明のような気がしてね、ちょっと得意だったのさ。

その後、誰かに「みかんの皮ば食べ過ぎると盲腸になるらしかばい」と言われてかなりビクついたけど、だからと言って上り始めた大人への階段を下りる気は僕には毛頭なかったさ。下りることなんてできやしないのさ。
もう子供にはもどれない。「皮ば出さんでよかとね」と親に言われても「よか」と炬燵で黙々とみかんを食べ続けたものさ。

で、そうすると足の裏って黄色くなりませんでしたっけ?
んで、裸足の時、何かのはずみに足の裏を他人に見られて真っ黄色(正確には違うけど)で、「お前、みかんの食べすぎばい」と笑われたり。

これはやっぱりみかんの色素が問題なのかな?と調べてみたら・・・
ほお、みかんの色素は脂肪にたまりやすいと・・・

ところで「みかんの皮ば食べ過ぎると盲腸になるらしかばい」、これ違いますよね。
僕は人の話を信じ込んじゃうトコがあって、ンなわけないと思いつつ・・・みたいな。

だって僕はまだ盲腸になっていないんですもん。
なら関係ないだろ自分の体で証明しとるわ、とも思うんですが、なんつうか「もしかして」つう心の片隅の小さく黒い炎はまだ消えてないんです。

僕はノストラダムスだのマヤだの信じてる人を笑えませんな。




Ⅵ:でも近年はなにかと逆方向に振れてますかね

既成概念つうわけではないですが、僕の江戸時代や戦国時代(もちろん他の時代も)のイメージはやっぱり時代劇や大河ドラマで出来上がってしまってます。
で、今回は話を江戸に絞りまして、江戸のイメージとして僕の意識の底まで勝手に入り込んできているのは「水戸黄門」「大岡越前」「江戸を斬る」などの時代劇だと思います。

で、もし僕が実際に当時の江戸にいったら「なんじゃココは?こんなトコ江戸ではないぞ!」と違和感ありまくりなんじゃないだろうか?
僕にとっては「水戸黄門」や「大岡越前」のテレビの画面の中の箱庭な江戸が江戸で、大空の下、パノラマワイドに広がる江戸は江戸と認識できんのではないだろうか。
それはなくても違和感ありまくりではないだろうか。
考えてみたらそこに結構な時間差があるとおもうけど「水戸黄門」や「大岡越前」、何なら他の時代劇も含め、人々の風俗があんまり違って見えんつうのも凄い話だし。
まあ「水戸黄門」はあんまり江戸自体が舞台になることはないけれど、それこそその分旅先の風俗は現実にはもっと地方色豊かなバラエティにとんだものだったのではないだろうか?←もちろん黄門様、現実には諸国漫遊などしとりゃせんよ

もしかしたら僕が無知なだけ登場人物は当時流行りの髷を結ったりしているのだろうか。

でで、時間もないので話さらに飛躍しますよ。

若い晩年の坂本龍馬さんも実際にあったら「どちらさん?」となるかもしれませんね。
「坂本は梅毒にかかり頭が禿げて」みたいなコトを言ったのは中江兆民さんでしたかね。
まあ梅毒云々は中江さんの勘違いつう話だったと思いましたが。

はおいといても、坂本龍馬と言ったらコレ!つう写真ではなく、若い頃や(確か)晩年の縁台に腰掛けてる写真とか見るとちょっとイメージ違いますね。
縁台に腰掛けてる写真の(イメージから僕が想像する)人に声かけられてもとても坂本さんとは思わんだろうし。

ま、このへんの感じ方は人それぞれでしょうかね。

あれは魯迅さんでしたか孫文さんでしたか、「三国志演義」の中で諸葛亮の智謀如湧っぷりを描こうとするあまり、結果的に諸葛さんが人ではない「化け物」みたいな存在になってしまっているっつうた話があった気がします。ええ”気”です。
そこまでではないですが、わりと坂本さんにもそのケはある気がします。ええ”気”です。
ある種、「或る日の大石内蔵助」状態というか。何故か独り醒めてる坂本さんの周りでオロオロする無知蒙昧な人々というか。

ま、このへんの演出は好みの問題ですか。

で、あたまにもどりまして、どちらにしろご当人にはエンもユカリもない”いいツラの皮”てことも多いんだろうな、て、気も少しします。ええ”気”です。

まあ表現するほうからしたら方便としてその人の名前を借りてるんでしょうが。

そーいえば、生粋の江戸っ子の人って「ひ」って発音できずに「し」になるんでしたっけ?
たしか昔、愛川欽也さんがクイズ番組で「商品はこちら!」てのを「しょうしんはこちら!」って言ってた気がするけど。
どうだったかな?

だとすると、実際の江戸は時代劇とはそんだけでも随分印象違いますよね。
もちろん大阪が舞台の「ゴジラの逆襲」も、九州が舞台の「ラドン」もほぼみんな標準語しゃべってますけどね。


で、昨日(20091228)ああ書きましたが、気になって調べちゃいました、幼児と大型犬の関係を僕と象の関係に比するのはやっぱり無理がありますな、体重の対比一つとっても。それに身長倍はないだろうと。いいすぎだと。





Ⅶ:いいツラの皮

そ~いえば、司馬遼太郎さんが、家康は信長に対してだけはその対応が(助けにきてくれないとアナタを裏切るしかないと手紙でスネてみたり)最後まで女性的な印象をあたえるのは何故だろう?みたいな(無茶苦茶ざっくり)こと書かれていたけど、あのお二人はできていたんですかね?

司馬さんも、家康の幼少期、尾張に人質としていた頃、信長に愛でられたことでもあったのだろうか~みたいな(無茶苦茶ざっくり)こと書かれていましたかね?

家康さんの淡いおもひでの殿方が信長さんだった~みたいな



ま、別に当時は、(すくなくとも)侍の中では、女も男もどんとこい!てのは割と普通のことだったはずですが←前田利家さんも信長さんの元カレ(カノ?)ですよね

がが、信長さんは確かにそうだけど、上杉謙信さんみたいに男のみ(あいまい)てなお方もいるけれど、家康さんは生涯女性のみを愛した方ではありませんでしたか

男には手をだしていませんよね、たしか(あいまい)

ま、だから、いくらなんでも信長さんと家康さんができてたとか、そりゃないですよね

ばかばかしい



じつは家康さん

生涯、信長さんに男の操をたててたりして




Ⅷ:信長の野望


「今の世の中にこそ織田信長が必要だ」みたいなの

もし本当に織田信長さんが、信長さんみたいな人じゃなく「天下盗ったる!!」とブイブイ言わせてた頃の信長さん本人が現在に本当に現れたら、「今の世の中にこそ織田信長が必要だ」とか平気で言っちゃう人が真っ先に信長さんに焼かれちゃうんじゃないですかね

そういう発想が後ろ向きな人、信長さん一番嫌いそうだから、敵とかよりも
なんとなく

たま~に思うんですよね、自分が焼かれる側とは思わんのかい?って
なぜ無条件にアチラ側だと思える?

もちろん焼かれたほうが悪いって言いたいわけではなかとですよ
見方はいろいろでしょうし
それに僕が生まれる前に亡くなった祖父は天台宗の坊さんです←念のため比叡山延暦寺ってやつね

どちらにせよ冗談ですよ




Ⅸ:この世界で

ついこないだ、四日前(20100325)かな?ほとんどの子供は現実と空想の区別はついてると書いといてなんですが、僕は子供の頃、すべての大人は、もう完璧、嘘もつかなきゃ、とにかく間違った事をしない生き物だと思ってました。結構長いこと思ってました。

ま、僕は生まれつきかなり単純で、人の話を信じやすいトコが今でも(これホント)あるんですが、子供の頃はそれに輪が四重くらいでかかってたんです。で、子供の僕は、我ながら言う事は嘘や言い訳や責任転嫁(こんな言葉知らなかったけど)ばっか。
当時から誰に対しても隠し事だらけでした、外面的にも内面的にも。
どう考えても、これは治りそうにありません。

どうしたら僕はあの人達みたいな”大人”になれるんだろう。
もしかしたら、僕はずっとこのままで”大人”にはなれないんじゃないだろうか。
あの人達も昔は僕みたいだったんだろうか。
もしかしたら、何時か、ある瞬間、「何か」が起こって、僕も今みたいじゃなく、嘘もつかなきゃ、間違ったこともしない立派な”大人”になれるんだろうか。

ずっと、不思議な不安でした。


さて、引越しでゴタゴタしているといつの間にかやってきました、明日は東宝特撮映画DVDコレクション第14号「ゴジラ対メカゴジラ」(昭和49年公開)の発売日です。

東宝特撮映画、魔法の昭和30年代は遥か彼方、世俗のしがらみにまみれた?ゴジラさんの闘いっぷり、目に焼き付けたいと思います。
つうても、僕が子供の頃なら「ゴジラ対メカゴジラ」なんてベストバウトすぎてそれこそ魔法のような一時だったでしょうけど・・・

で、たま~に”子供は天使”とかいうけど馬鹿じゃないの、子供くらい利己的で残酷な存在はいないだろう、つうご意見もあります(よね)。

が、僕は「利己的で残酷」もひっくるめて”子供は天使”でいいと思います。
もちろん、人生それじゃやってけません。もしかしたら、やってける人もごくまれにいるのかもしれませんが、ほとんどの人はやってけないでしょう(よね)。

で、みんな天使でいいと思います。

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