Friday, 8 November 2013

②病悩山

さて「名山の日本史」によるとですね。
 
昔々、磐梯山は病悩山と呼ばれて会津の人々を苦しめていたそうです。
もちろん伝説の話です。

もともと病悩山はさまざまな禍で会津の人々を苦しめていた。
そして今から千二百年前、ついにこの病悩山は大噴火を起こした。
それは一夜にして猪苗代湖を生んだほどの大爆発で、多大な被害をこの地にあたえた。
会津の人達の困窮もここに極まった。

それを京で伝え聞いた空海が遥か会津に下向、秘法を修し禍を除き五穀豊穣を祈願。
そして、この地に恵日寺を建立した。
それ以来、病悩山は穏やかな山となり、会津の人々は豊饒の地で幸せに暮らすようになった。

ちょっと作ってますが、このような伝説(縁起)が磐梯山麓の恵日寺にあるそうなんです。
 
 
もちろんこれは伝説で、猪苗代湖の成立は何万年も前であり、空海が会津を訪れたこともなく、はっきりとはしないものの恵日寺を建立したのは空海ではなく、空海や最澄と教学について論争を交わした法相宗の高僧徳一であろう。
空海の建立という伝説は、後年恵日寺が真言宗に属するようになってつくられたものであろう。

おそらく実際のところはそういう感じらしく、今昔物語とかにも"得一つう人が恵日寺を建てた"って書いてあるみたいです。


で、"一切経山にお経を埋めたのは安倍貞任ではなく空海だ"。

そういう伝承もあるそうですが、これもそのへんの事情からきてるんですかね。
 
一切経山も恵日寺の影響圏内で、このお寺が真言宗に属するようになってから、ま、そもそも伝説でしょうし、お経を埋めた主役に空海が紛れ込んだ。 

それとも逆かな?

たぶんですけど、もともと違う宗派だった恵日寺がいきなり真言宗に属したりはしないだろう。
それはやっぱりその土地として真言宗の勢いが強くなり、その結果、みたいな過程をたどったとおもうので。

例えば高野聖が、"実はあれを行なったのは空海その人なのだ"みたいな空海伝説を布教のために創作して広めた。
または、それこそ、この地の真言宗の勢いが強くなり、空海信仰も強まり、その過程でそのような空海伝説が発生し広まった。
で、その伝説が無視できないものになり、もともと違う縁起を持っていた恵日寺に影響をあたえることになった。
 
と書きましたが、なんにせよ、こういうことは、くんずほぐれつ、でしょうね。
 

ちなみに恵日寺を実際に建立したといわれる徳一。
彼は孝謙太上天皇や寵愛の道鏡に対して反乱を起こし敗死した藤原仲麻呂の子であるといわれ、当代屈指の名僧であるとうたわれ、その建立であると伝えられる寺は恵日寺以外にも全国に七十以上あるとか。
 
しかし、天台宗の最澄との論争に敗れた後はふるわず、その法相宗も衰えていったとか。


これは身勝手要約ですが、「名山の日本史」によると、平安以来、神と仏は一体であった。
明治維新以降の一連の廃仏毀釈運動により神と仏を分離、神道のみを国教とし、仏教を排斥。
これにより山岳信仰の場から仏教が排除され、あたかも昔から神のみが信仰されてきたかのような錯覚を現在の人びとにあたえていると。
 
そう、名山とよばれる山には必ず名刹があった。
しかしそれらは消されてしまった。
仏像・仏画など膨大な文化遺産もこのとき失われた。
恵日寺も、境内社の一つであった磐梯明神を磐梯神社として独立させ、住職を同社の宮司にし、恵日寺自体は廃寺とされた。
これらはまさに国家が国家としておこなった愚行であろうと。



ちなみに、この"磐梯"神社は前回出てきた"磐椅"神社ですよね?
そうすると梯と椅の使い分けはあんまり関係ないのかな?

で、大正二年、ようやく廃仏の過剰な熱もさめたということですかね、塔頭(たっちゅう)の一つである観音院が恵日寺の寺名を再興したそうです。
(塔頭は本店にたいする支店のような感じでしょうか)
 
んで、徳一が最澄に負けて法相宗が衰えたというのは、法相宗が衰えたことからの逆流かもしれませんよね、そこに理由を求めると。
恵日寺が空海の建立で、都に帰る時に弟子の徳一にこの寺を託したという伝説とともに、栄えたモノが歴史を創る、でもいいですが。

実際は、どの程度かは定かではないですが、徳一は空海が東国に真言をひろめることを依頼してきたのを拒否。
その教義にたいする疑義を空海にただし、二人は対立関係にあったとか。



でですね、山岳信仰の場であったかどうかはしりませんが、浄土平じゃないですか、一切経という仏教のお経を埋めたという伝説を持つ一切経山じゃないですか、蓬莱山、これは道教ですかね?じゃないですか。
この感じが自然なんでしょうかね。

↑このブロックの文章、浄土平ではもともとは神道・仏教・道教が混合されていた、ということを言いたいのだとおもいますが、ちょっと妙になってますね。浄土を神道と思っちゃったのかな?
 
おそらく、日本の現在の山岳信仰は神道のみ、そしてそれは浄土平にも存在する、という自分だけの前提が頭の中にあり、それでそこをすっ飛ばして書いてしまったのかもしれません。 
 
ちなみに、当時も今も、浄土は仏教における天国のような場所だ。
そう言う認識です。(2013/11/07)

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