Sunday, 10 November 2013

④権現

「名山の日本史」によると、日本古来の神々と仏が一体だったころ、名山には寺院が建立され、そしてともに神がまつられた。

"仏教の神社に日本の神様、なんか変じゃないか?"

"いや、ちがうのだ、実は日本の神様もその真の姿は仏や菩薩なのだ。"

"それはこういうことだ。
いいか、仏の教えがどんなに人々を苦しみから救うすばらしいものであるとしてもだ。
結局それは人の手によって伝えられるしかない。
そして日本は仏の教えが生まれた天竺から遥か彼方、海もある、どうしてもその伝来は遅くなる。"

"ではその間、うん、そりゃしょうがない、と仏は我々の苦しみを放っておくのか?
まさか、そんなことを仏がするわけがない。"

"そう、仏は我々を苦しみから救うために、その伝来のはるか以前から、日本の神という権(かり)の姿で我々の前に現れていたのだ。すなわち権現として。"

どうも、このような感じだったみたいです。

 
で、記憶頼りで不確かですが、これはキリスト教日本伝来最初期の話。
 
イエズス会の人達が自分たちの唯一絶対神を、やおよろずな日本人に説明しようとして、ゴッドを大日如来と訳し、結果、仏教の新しい宗派がやってきたという勘違いが発生、ある種、唯一絶対神の権現化が起こっちゃったという話となんとなく通じているような。


で、上記は建前として。

権現というくらいなので、何か仏さまが海を渡ってドカドカと日本に乗り込み、日本古来の神さまを無理やり力で押さえつけたような感じもします。
でも侵略者(笑)の仏さまが神さまを滅ぼさずに身内に取り込み、仲良く千年は共生したかと思えば、悪くない風景な感じもします。

ま、もともとは蘇我だ物部だと、上のほうでの思惑が戦争しちゃうくらい入り乱れまくったんでしょうが、一応日本人みずからがそれを選んだわけですし。
 
もしかしたらあれですかね。
廃仏毀釈を進めた人たちのなかにもあいつらは侵略者だという思いがありましたかね。
当時の国際情勢にそのまま重ねちゃったり。



そうそう、八王子の先の高尾山。(東京目線で)
僕も東京に住んでいる頃はよく初日の出を見に元日に登ってました。
山頂付近にお寺があり、関東一望、富士山も望め、いいとこです。

当然、この高尾山にも維新とともに廃仏毀釈の嵐はやってきたんです。
 
これも記憶頼りですが、戊辰戦争時、甲州勝沼で壊乱した新撰組の人達が潜伏したのが高尾山周辺の山々だったような。
また、新撰組の故郷、八王子同心など最後まで徳川側についた人たちの本拠地として、そのあたりはもともと新政府に睨まれた土地だったような気もします、もちろん高尾山も。
 
で、その高尾山にも飯縄権現という"日本の神"はちゃんといました。

もともと睨まれているお寺です。
廃仏毀釈のパターンとしては、飯縄権現が神社へ昇格?そしてお寺は廃止。
そんなもんだとおもいます。

しかし高尾山のお寺は、え~はい、このお寺、正式な名前を知りません、調べればいいだけの話ですけど。
"高尾山"で高尾山のお寺を指す、そう思ってもらえれば。

話をもどして、しかし高尾山は、その廃仏稀釈の嵐がくる前に飯縄権現の名の使用をやめ、鳥居も撤去、跡地には石灯籠を建立、仏のみの寺に(表向き)なったそうなんです。

そして神社ではなく寺として生き残り、廃仏毀釈の嵐が過ぎ去った後、といっても大正十五年、ひそかに堂宇の一つとして守っていた飯縄権現の名を復活、鳥居も再建、もしかしたら実質はずっとそうだったのかもしれませんが、見事に神と仏が共生する山岳信仰の場にもどったそうです。

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