と
いうわけで
Ⅰ:you may dream
有線放送だと思うのですが、アイドルの人なのかな?どうなのかな?そこらへん本当にうといんですが”あなたのこと思うと、すごく胸が熱くなるの~♪”と、Sheena & The Rokketsさんの"You May Dream"のカバーが流れていました。
名曲はこうして受け継がれていくんですね。
僕はいいことだと思います。
あ
そーいえば
Charさんが、鮎川誠さんとテレビ番組で共演された時、「(鮎川さんは)どうしても先輩って感じがしちゃう」と言われて、それにこたえて鮎川さんが「ギターはね、先輩、後輩ないからね」「スゲぇ奴は若くてもスゴイし」と。
これあれですな。「文章はね、先輩、後輩ないからね」「スゲぇ奴は若くてもスゴイし」に持っていけますな。ま、僕は若くはないですがね。
と、朝から増上慢にふんぞりかえったトコで、実は最近、料理とともに文章もちゃんと勉強してみようかな?とちょっと思っています。←注:現状思っているで止まっております
ここでの僕の"On My BEAT"な文章も、正直自分でも悪くないと思いますし、まったく嫌ではないです。
ま、たま~に、かなり豪快に実験失敗したり、富士の樹海に迷い込んじゃったりもしますが、それも含めてこれが僕ですもん。僕という人間がよく出ている文章だと思います。
やっぱり僕は自分が文章を書き始めてわかったこととして『文章はそれを書いた人のすべてをさらけ出す。決して隠せない。上辺だけ取り繕ったりなんだりしてもまったく無駄』だと思います。
表層的に何を書こうが、その人の心は隠しようがなく出ちゃうと思います。
もちろんそれが”良い”とか”悪い”とかの話ではなくて、その人の心は隠しようがなく出ちゃうと思います。
まあ、そうはいっても、やっぱり最終的には個々人の感性というはっきりとは捉えようもないトコの話に落ち着いてはしまいますが、でもそこに惹かれちゃうと、そりゃうわべの見た目に惹かれるのとは比べようもなく強いですよね。
んで、話をもどしまして、この我流極まりない”僕”な感じの文章の基礎は一応出来てきたかな~と思うんです。まあ、そうそう揺らがんだろうと。
だから、ちょいとここいらで(所謂)ちゃんとした文章作法つうのも知識として仕入れようかな~と。
今までは知らんから使えなかったけど、それを知っているけど使わんに持っていきたいな~と。
した野望をもつ今日この頃。←注:現状もった状態で止まっております
で、もう大昔、十代の頃、博多は天神の地下鉄の駅でやってきた電車に乗り込もうと身を乗り出したら、開いた扉の向こうに鮎川誠さんとシーナさん。
お二人は直ぐに脇によけた僕の目の前をサッと階段のほうに歩いていかれて、もうそれは本当に一瞬のことではありましたが、「かっけぇ~~」と思ったあの時の僕の思いは永遠です。
(注:この文章中の注は2010年当時・2013/11/09)
Ⅱ:ask
ちなみに明日でここ歴実質一年。つまり僕の文章歴もはれて一年。
いや~”手習い感覚で書いてます”でスタートして一年もよう続きました。書きました。
ま、いまとなっては無茶苦茶なげやりなふざけた文章(ですらなかったり)になっとりますが、これで金取っているわけではないので別にいいでしょう。
ただ僕は、別に人を傷つけたり馬鹿にしたくて、このふざけた文章を書いているわけではないんです。
正直、自分でもかなりタチの悪い存在・文章に現状なってしまっていると思います。
もちろん基本的に悪意はないんです。悪意では書いていません。ふざけては書いていますが。
つうか悪意のある文章なんて、まあこっちに向かって刃物振り回しているようなもんですから切られりゃそりゃ痛いですけど、不意打ちみたいなのでなきゃそんなに気にするほどのことでもないと思います。
うまい具合に自分のコンプレックスをつかれたって、なんといってもコンプレックスなんで「んなこた自分が一番ようわかっとるわ」つうだけの話だと思います。
それに悪意って思考がチャートみたいにパターン化してますから、単純に慣れ、飽きるつうのもあると思います。
でも僕のこのふざけた文章は悪意が無い分、僕の文章に好意的な人を選別して、その内側にウイルスみたいに入り込んで、内側からその人を傷つけたり、馬鹿にしちゃったりしてしまっている気がするんです。
で、この僕の今のスタンスが変わらない限り、この構造は変わらないのかなと。
陳腐なフレーズですが、やっぱりこのネットをかいしての人間関係ってのはどうなんだろうと。
相手を嫌いになる機会がない関係性てのは危険ですよ。
結果として、僕はどんな悪意の文章よりもよっぽど悪質な文章を書いてしまっているなと。
だってさ、外側の”悪意”なんて、それがどれだけ強力で悪質なもんであったとしても、己の内側のどうしようもない”好意”のタチの悪さ、苦しさ、に比べたら屁みたいなもんじゃない。
なんてことも文章歴一周年で考えたりもするわけなんです。
どうしよう?みたいな。
僕が適当に何か書くたびに最終的に見知らぬ誰かを傷つけるのは本意ではないですから。
ただ考えているだけですけどね。
そういえばThe SmithsというUKのバンドの曲に”Ask”てありました。
もしもこれが愛じゃないとしたら、これは爆弾だから、僕達を結びつける爆弾だから
Ⅲ:save me
Won't You Please Save Me
Won't You Please Save Me
凍えそうなこの祈りを
やりきれないこの思いを
壊れかけたこの心を
永遠の国の天使にささげよう
いえね、布袋寅泰さんの東大寺でのライブをみてるんですけどね。
まあ”Me”はどこまでいっても”Me”だけど、それが”Me”であるかぎり、それはつまり”All You”ってことだから問題ないんですね。
ただ東大寺も大仏も、ま、そりゃ、天平の昔から、たぶん今だって、想像だけど、もちろん僕の勝手無責任な想像だけど、たぶん、戦乱での焼き討ち消失とかとも無関係に、こう、その、造られたときから、人間のやることですし、昔は今なんかとは比べ物にならないくらい政・国家権力、という言い方でいいのかはわかりませんが、と密着していたでしょうし、別に密着しなくても、だから、人間のやることですし、内部での権力争いなんてものも、人間、女性はわからないけど、男はわりと好きで、これがまた楽しくて、わざわざ敵をつくったり、わざわざ誰かを嫉んでみたり、派閥つくったり、陰謀はりめぐらしたり、ほんと思いのほかこれが楽しくて、それが生きがいになっちゃう人もいたり、ま、お坊さんだって人間ですから、そうであっても別に普通のことで、内部の人間関係がドロドロでもおどろくことではまったくなくて、もちろん、そうだ、といってるわけではなくて、話した事も、どころか、会った事も、どころか、みたことも、一切何の交流も無い人の、そんな赤の他人の人格攻撃とかできちゃう人ってある種凄いな、よっぽどモノが、見えないモノが見えているんだな、感心しきり、とも思うけど、何もみえない、何も知らない僕がそんなこと言えるわけもなく、ただ、何となく、東大寺も大仏も、この世に存在しているのだから、僕や僕のまわりがそうであるように、歴史の積み重ねの中で、ただ、あなたたちだけがbeautiful onesでいられたわけはないだろう。
ともおもうんです。
おもっちゃうんです。
でもそんなん問題ではないんですね。
だって
千年以上の間、身分を問わず、もちろん、政治遊びやお寺内部での権力闘争をやっていたのではなかろうか、というお坊さんたちも含め、合戦で敵味方にわかれて殺し合いをしただろう人たちも含め、すべての人たちを含め、幾度か戦乱で消失したこの大仏に、凍えそうな祈りをささげてきた沢山の人たちの心は真実だから。
Ⅳ:trash
活字本多いんです。我が家は。
高校卒業くらいまではほぼ漫画しか読んでなかったけど、その後は割と活字の本も読むようになって、漫画ももちろんずっと読んでて、で、良いんだか悪いんだか、僕は自分が文章を線じゃなく面で読んでるってことに気づいて、漫画と同じ読み方で、妙にスピードが速くて、んで、暇人で、千切っては投げと一日にやたらと量をこなすようになって、そんでもって、昔から僕は”すてれない男”で、気づいたら、僕の家は溢れかえる本でえらい事に。
というわけで今回、引越しを機に、痛みがひどい本はバッサリすててしまおうと思います。
すっきりさっぱりして新しいトコに移ろうと思います。
思います、思いますが、考えてみれば、みなくても、今回のすてるリストにのっかる”痛みがひどい本”とは僕が本当に好きで愛読した本ばかりなんですよね。
外出時にズボンのポッケに入れ、暇を見つけては読み、お風呂に入りながら読み、ベッドに寝転んでは読み、そのまま本を下敷きに寝てしまい、起きたらまた読み。
結果、本当に好きな本になればなるほど、何度も何度もそうして読み、もう見た目ボロボロなんです。
カバーがないのは当然、表紙も破れちゃってたり、コーヒーの染みががっつりついてたり。
で、あんまり読んでもピンとこなかったり、なんか家の本棚にあったら偉そうかな?という思いで購入した「誰対策?」な本はそりゃもう綺麗なもんなんです。だって買ったっきり手にとらんし。
う~ん、やっぱり処分するなら逆だな。物凄く見た目が汚い本棚になっちゃうけどまあいいか。「誰対策?」はもういいだろう。自分ちで自分を偽ってもしょうがないわ。
やっぱりこのグチャグチャボロボロな坂口安吾さんの「暗い青春」はすてれんよ。
Ⅴ:"heroes"
僕、僕は王になる
そして君、君は女王に
てヤツですね
僕、僕は思い出す
壁際に立たされ、そして銃が僕たちの頭を撃ち抜いた
だから僕たちはキスをした
けっして堕ちることのないように
そう、恥辱とは彼らの側にある
てヤツ
つまり
誰も僕たちを助けてはくれないけれど
僕たちは嘘をついているのかもしれないけれど
でも
We can be Heroes,Just for one day
てヤツですね
ま、かなりざっくりですけどね
Ⅵ:ロックンロール
え~あくまでいつものように僕の個人的見解ですが
ジョンレノンさん
かなり根性が悪いような
と
いいますか
意地が悪いような
と
いいますか
そういうことはなくても
まあ
かなり
クセがある人だったような気があくまで僕はします
でも
たとえば
あくまでいつものように僕の個人的見解ですが
ほんとうにもうしんから”愛と平和”な性格のいうことない素晴らしすぎる人格の人が”愛と平和”な曲を作り歌ったところで
そりゃ
まあほんと
きれいで
うつくしいもんかもしれんけど
んなもん
もうたんなるお花畑で
よくてなんかの広告塔
わるけりゃなんかの進軍ラッパ
に
なるだけな気がします
えっと
あくまでいつものように僕の個人的見解ですが
だから
僕は
根性が悪いような
意地が悪いような
もしかしたら
ほんとうにもしかしたら
”愛と平和”なんて
一切信じていない
それでもなお
自分の
根性が悪いような
意地が悪いような
もしかしたら
ほんとうにもしかしたら
”愛と平和”なんて
一切信じていない
でも
そうであっても
”愛と平和”を願い歌う
僕はコッチをしんじます
ええ
もちろん
根性が悪いような
意地が悪いような
もしかしたら
ほんとうにもしかしたら
”愛と平和”なんて
一切信じていない
を
みつめたうえでのことでしたら
商売まじりでも
僕はかまいませんよ
だって
お金儲けも大切です
John Lennon
19401009 - 19801208
Ⅶ:rock'n'roll suicide
we are not alone
誰も孤独じゃない
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